福島復興へ 女性シイタケ農家の思い
キーワードでニュースを読み解く「every.キーワード」。21日のテーマは「ある被災者の生き方」。諏訪中央病院・鎌田實名誉院長が解説する。
今月12日、福島第一原発の半径20キロに位置する福島県南相馬市の小高区と原町区の一部地域で、原発事故に伴う避難指示が解除された。解除対象は約1万1000人(今月1日現在)と、これまでの避難指示解除の中で最も規模の大きいものとなった。
ただ、事前の準備宿泊登録は対象となる住民の約2割にとどまっていて、今後は住民帰還に向けての生活環境整備などが課題となる。
鎌田先生は先月21日、南相馬市小高区へ取材に訪れ、小高区で5年ぶりにシイタケ栽培を再開した女性に復興への思いを聞いた。
■農業を始めて7か月で被災
福島第一原発から11キロの場所でシイタケ農家を営む泉景子さん(35)。20代の頃は父親の経営する重機の修理会社で働いていたが、30歳になる頃、シイタケの栽培に興味を持ち、農業の道へ進んだ。しかし、本格的に農業を始めてから7か月後、震災が起きた。
直接、津波の被害は受けなかったものの、原発事故の影響で休業を余儀なくされた泉さんは、両親や祖父母と一緒に避難生活を送りながらシイタケ栽培の再開を目指してきた。
■「確信があった」
ただ、周りの人たちからは、こんな事を言われたという。
泉さん「まだやってもいないのに、できないよっていう人もいたし、まだダメだとわかってもいないのに、セシウムでるからダメだよとか言う人の方がたくさんいました。だけど自分の中で、ウチはでないからって確信があったので…」
泉さんのシイタケは、オガクズなどを固めた培地、つまり土台に菌を植え付けて栽培する菌床栽培だ。放射線の影響のない秋田県の木を原料にした土台に、群馬県から取り寄せている菌を使っているため、シイタケの安全性には自信があったという。
休業から5年3か月たった先月上旬、満を持して臨んだ県の検査の結果、放射性物質は検出されず安全性が確認されたため、栽培したシイタケは全て農協に出荷する事が決まった。
鎌田先生「中途で投げだしたくなかった?」
泉さん「絶対に(あきらめるのは)自分が許せなかったんです」
■シイタケにこだわったワケ
地元農協の話では、キノコ類は他の農作物に比べて安全管理などに手間がかかる事などから積極的にシイタケを栽培する農家は少ないという。
そんな中、シイタケにこだわったワケは…
泉さん「ただシイタケ栽培を再開したかった。シイタケができるなら他の野菜全部できるねっていう事になるので、それを証明したかった」
一般的に、キノコ類は放射性セシウムを吸収しやすい。だからこそ、安全なシイタケを栽培する事ができれば、他の農家の方たちにエールを送る事ができると、泉さんは考えていた。
風評や噂(うわさ)に負けないために、食品の安全について透明性を高めるために何回も検査をし続けてきた。これからも検査をし続けてほしいと思う。
■“噂”に負けない勇気
これは被災した人たち、あるいは福島の風評被害だけに言える話ではない。一般論としても広げて考える。
例えば、学校である生徒が問題を起こすと、その学校は「ダメな学校だ」とレッテルを貼りやすい。十把一からげに生徒全員が悪い話になってしまっていいのだろうか。
よく見ると、その中にはすばらしい生徒もいるはずだ。人の言う事に耳を傾ける事は大事な事だ。ただ、それが根拠があるのか、そうでないのか、私たちは噂や風評に負けない勇気を持って生きる事が大切だと思う。
この国をヒステリックになりすぎず、過度なバッシングをしないような温かな国にしたいものだ。