「残された者はこんなに悲しいんだということを伝えられれば」16歳の息子を雪崩事故で失った遺族が都内の大学で講演 栃木・那須雪崩事故
「みんな生きて帰ってきてほしい、残された者はこんなに悲しいんだということを伝えられれば」。都内の大学で講演を行った後、こう語った高瀬晶子さん。高瀬さんは2017年、栃木県那須町で起きた雪崩事故で二男の淳生さんを失いました。高瀬さんが講演で涙ながらに語ったのは、遺族になってからの経験、そして当時の思いでした。(社会部 浅賀慧祐)
■講習会中の事故であわせて8人が死亡「那須雪崩事故」とは…
この事故は、2017年3月栃木県那須町のスキー場近くで県立大田原高校の生徒7人と教師1人が登山講習会中に雪崩に巻き込まれ、死亡したものです。
この事故をめぐり、業務上過失致死傷の罪に問われた講習会の責任者の教師ら3人について、宇都宮地裁は今年5月まで行われていた裁判で「3人の雪崩への知見を踏まえると、雪崩は予見可能だった」などとして、禁錮2年の実刑判決を言い渡していました。
■残された家族の思い…記憶をなくし、外に出るのも怖くなった事故当時
この事故で二男の淳生さんを亡くした高瀬晶子さん(58)。晶子さんは1日、東京の青山学院大学で行われた講演会で「16歳の淳生を雪崩で失って」というテーマで講演を行いました。
「ひとたび事故が起こったら、残された者はこんな思いをするんだ、そして悲しみだけじゃない様々なことに直面します」
講演会の冒頭、晶子さんは講演会に参加した人たちに、こう語りかけました。
淳生さんは小さい頃から習っていたピアノが大好きな子で、晶子さんは2人でピアノを連弾した時のことを、幸せな時間だったと振り返りました。
そんな淳生さんは高校に入学して山岳部に入部。そして、事故に遭い、わずか16歳で命を落としました。
事故当時、晶子さんが病院から淳生さんを自宅に連れて帰れたのは、事故当日から日をまたいだ深夜だったといいます。しかし。
「その後の記憶がないんです」
晶子さんは次の日に高校で保護者説明会が行われるまでの間、記憶が全くないといいます。
さらに晶子さんは当時の思いについて――。
「そして外に出るのが怖いんです。みんなが私のことを知っている。そんなわけないのに、そう思ってしまう。『ほら、あの人が子どもを雪崩で亡くした高瀬さんだよ』って、みんながうわさしていると思って、怖くて外に出られなかった。夜は眠れないし、食欲はない。でも、まったくおなかはすかないし、疲れていないんです。元気なんです」
■控訴を受け遺族の思いは…そして雪山シーズンを前に遺族が登山者に伝えたいこと
現在、この事故をめぐる刑事裁判は、教師ら3人が一審の判決を不服として東京高裁に控訴しています。
ただ、晶子さんによると、3人からは控訴に必要な書類が裁判所に提出されていないということです。
こうした状況に晶子さんは「一刻も早く(書類を)提出してほしい」としつつも、「願わくは、控訴を取り下げてほしい。そう思っています」と切実な思いを明らかにしました。
そして講演の最後。
「(教師ら)3人を憎んだまま一生終えたくない。許すことはできないかもしれないけど、もしかしたら認めることはできるかもしれない。そんなふうに思っています」
晶子さんは、およそ50分間の講演を終えました。
講演後、私たちの取材に晶子さんは、これからの雪山シーズンに向け、登山をする人たちに向けた思いを語りました。
「私が話す意味は、みんな生きて帰ってきてほしい、残された者はこんなに悲しいんだということを伝えられればと思う。みんなどうしても人ごとになってしまうので、自分事として考えてもらえたらいいなと。自然に勝てるわけがない、謙虚な気持ちで山に行ってほしい」