住民への中傷も…ヘリ部品落下から1か月
今年に入り、沖縄ではアメリカ軍のヘリコプターの事故やトラブルが相次いでいる。去年12月には、小学校にヘリコプターの部品が落下する事故が起きたばかりだ。その事故から間もなく1か月。住民は事故への不安ばかりでなく、いわれなき非難や中傷に苦悩している。
◇
■カラオケボックスよりも大きな音で…ヘリが上空を飛行
沖縄・宜野湾市で9日、事故があった小学校でも冬休みが明け、雨の中、子どもたちが2週間ぶりに登校していた。そこは“世界一危険な基地”と呼ばれるアメリカ軍普天間基地に隣接した普天間第二小学校。アメリカ軍機の動きを監視するため、今年に入り、国が校舎にカメラを新しく設置した。さらに、学校側はグラウンドに監視員を立たせることを決めるなど、安全対策を進めている。
事故があったのは先月13日。普天間第二小学校のグラウンドに、CH53大型ヘリの窓が落下した。縦横約90センチ、重さ7.7キロの塊が上空から落ちてきたのだ。
しかし、住民が不安を抱える中、アメリカ軍は「人的ミス」だったとして、わずか6日後、同型機の飛行を再開。その2日後、小学校を訪ねてみると、子どもたちが下校するすぐ上空を、ごう音をあげながらヘリコプターが飛んでいた。
いったいどのくらいの音がするのか。小学校の周辺で測定器を使い、その音を測ってみると、92.6デシベルという表示。これは地下鉄の車内(80デシベル)やカラオケボックス(90デシベル)よりも大きな音だ。それが毎日、響きわたっている。
■ヘリの恐怖と県外からの中傷…苦悩する住民
さらに、住民を苦しめているのは県外からの非難の声。小学校には次のような電話があったという。
男性(東京)「学校を基地の後から造ったくせに。戦闘機とともに生きる道を選んだくせに文句を言うな」
男性(東京)「沖縄は基地で生活している。子どもに何かあっても、お金をもらっているからいいじゃないか」
同じような非難は近くの保育園にも。小学校の事故の6日前、普天間基地に所属するヘリの部品が屋根に落下した。
緑ヶ丘保育園・神谷園長「ドーンという音がした」「屋根から園庭まで50センチですよ。一歩間違えたら園庭に落ちるんです」
しかし、この保育園にも「自作自演ではないか」などと中傷するメールや電話が、事故後1週間にわたり続いた。ヘリコプターの恐怖、そして県外からの中傷…。
■安全基準で定められた飛行経路は守られず…
1945年1月に当時の宜野湾村を撮影した航空写真を見ると、普天間基地にあたる場所の一帯は元々、集落が広がっていた。そこに戦時中、アメリカ軍が普天間基地を造ったため、住民は、基地の周りに住むことを余儀なくされた。それに伴い、学校もやむを得ず基地の周辺に建てられた。
実は、2007年に日米合意のもと、定められた安全基準がある。普天間第二小学校は、安全基準で定められた「基地周辺を旋回する時の飛行経路」「海上へ抜ける際の飛行経路」どちらの範囲からも外れている。しかし、沖縄防衛局が記録している実際の米軍ヘリの飛行実績を見てみると、小学校の真上を何度も飛んでいるのがわかる。
■「部品や窓枠が落ちてくる空なんて」飛行禁止を訴え
去年の暮れ、相次ぐ事故に住民は、保育園や学校施設上空の飛行禁止を訴えた。
保育園に子どもが通う保護者女性「空からは雨が落ちてくるもの。部品や窓枠が落ちてくる空なんて、そんな非現実なことが起こるなんて、思いもしませんでした」「安心安全な当たり前の空の下で、のびのびと遊ばせたい。ただそれだけ」
たび重なる事故を受け、沖縄県は、アメリカ軍機の総点検や、来年2月までに普天間基地の運用を停止することなどを求めている。一方、政府は、普天間の危険除去のためには名護市辺野古への移設しかないとの立場だ。
事故から間もなく1か月。子どもたちの頭上では今も変わらずアメリカ軍のヘリコプターが飛び続けている。