×

始まりは「拾った松ぼっくり」 消えた7万本の松…高田松原の再生へ【東日本大震災13年の“あれから”】

2024年3月7日 7:02
始まりは「拾った松ぼっくり」 消えた7万本の松…高田松原の再生へ【東日本大震災13年の“あれから”】

岩手県・陸前高田市の高田松原。かつては、“白砂青松”とたたえられ、毎年夏には多くの海水浴客でにぎわっていました。ただ、美しい景観を作り出していた7万本もの松の木は、あの日の津波で1本だけを残し、消えてしまいました。

あの美しさはもう戻ってはこない―――。あきらめた人たちが、松原の再生に立ち上がったきっかけは、震災前に拾った「松ぼっくり」でした。約4万本の植樹が終わった2021年夏、砂浜の工事も終わり、ようやく初めての海開きを迎えました。

2024年のいま、問題となっているのは、つる性植物のクズが繁殖し、松の生育に悪影響を及ぼしていること。つるが絡まった松はクズの葉に覆われて、光合成ができずに枯れてしまったものも…。

■たたえられた「白砂青松」 かけがえのない場所

2022年3月、鈴木善久さんは「高田松原は、やっぱり一番思い出になる場所だ」とかみしめるように話しました。

高田松原を守る会・鈴木善久さん
「親と一緒にここに来て遊んだり、小学校のときに遠足に来て潮干がりとか海水浴したりね」
                                     
「白砂青松」と称えられた高田松原。陸前高田のひとたちにとってかけがえのない場所でした。

■大津波から街を守り…残ったのは“一本”だけ

350年前に植えられた約7万本の松の木は美しい景観をつくるとともに潮風からまちを守ってきました。あの日、松林は、大津波から街を守る最初の堤防となりました。しかし、途方もない力に一本だけを残し流されてしまいました。

鈴木さん                             
「震災で、私たちが立っているこの地面も海になってしまった」

■始まりは「拾った松ぼっくり」から

あの美しさはもう戻ってはこない―――。そうあきらめていた鈴木さんのもとに、偶然、震災前に高田松原で拾った松ぼっくりを届けてくれた女性がいました。

鈴木さんは「ああ、この種を育てて松原を再生したい」と動き出します。

震災の翌年から、市内の畑を使って松ぼっくりの種から苗木を育て始めました。弱々しい15センチほどの松の赤ちゃん。高田松原の再生へ。 新たなスタートでした。

鈴木さん(当時67歳)                   
「立派な高田松原が再生していけるように頑張っていきたい。そういう気持ちでいっぱいなんです」

■4万本を植樹 「50年後ここに来て、きれいな松原を」

鈴木さんの思いは、たくさんの人の心を動かしました。震災から6年後の2017年5月、 高田松原で初めて松の植樹会が開かれました。
                
弱々しかった松は小学生と同じくらいの背丈になり、生まれた場所に戻ってきました。

参加した子ども                           
「おじいちゃんとかと一緒に泳ぎに行ったことがある」                           
「たくさんの人がここに来て泳ぎにきてほしい」
                
参加した子ども                             
「50年後、ここに来てきれいな松原を見に友達とか家族とかで見に来たいなと思っています」
                
のべ3万人以上のボランティアの力も借りて、植樹会は毎年開かれ、2021年5月、目標の4万本の植樹が終わりました。しかし、そこに鈴木さんの姿はありませんでした。 大病を患い、遠くから松の成長を想っていました。

■震災から10年 初めての海開き

震災から10年が経った2021年夏、高田松原は砂浜の再生工事も終わり、震災後初めて、海開きを行いました。ようやく、この場所に笑顔が戻ってきました。

海水浴に来た人                 
「10年ぶりに、震災以降再開するってことで、息子も海が初めてだったので最初に連れて来たいなと思っていましたので、やっと来ることができました」

■白砂青松の風景まで“あと50年”

そこには、病気から復活した鈴木さんの姿もありました。松は、鈴木さんの背丈を超えました。
          
鈴木さん                   
「病院にいてもね、電話かかってくるから。“植えた松が大きく育つように”ってこと思っていました」
「私たちが子どものころから慣れ親しんだ、そして、楽しい思い出をたくさん作った場所、それが高田松原の海でした。これからの子どもたちにもたくさんの楽しい思い出をここで作ってもらいたい」
              
震災前の“白砂青松”の風景が見られるには、あと50年はかかるといわれています。

鈴木さんは「私は、124歳くらいまで生きないとな」と笑顔を見せました。

(※2022年3月11日にテレビ岩手の「ニュースプラス1いわて」で放送されたものを再編集しました)

【取材したテレビ岩手・駒井晴夏(現プロジェクト事業局) 2024年3月に思うこと】

中学校の理科教師を定年退職した後、2006年の「高田松原を守る会」発足時から、環境保全に力を尽くしてきた鈴木さん。去年6月、陸前高田市で行われた全国植樹祭では、長年の功労を称え、緑化功労者として表彰を受けました。「支えてくれたボランティアのおかげ」と微笑み、控えめに喜ぶ姿が印象的な、常に周りへの感謝の気持ちを忘れない心優しい方です。

植樹を終えた後は、高田松原の草刈りなどの環境整備に汗を流しています。鈴木さんの最近の悩みは、つる性植物のクズが繁殖し、松の生育に悪影響を及ぼしていること。去年の酷暑の影響でクズが一気に伸びたとみられ、つるが絡まった松はクズの葉に覆われて、光合成ができずに枯れてしまったものもあります。自然相手の力仕事。「ここで枯れたら意味がない」と、一本ずつ手作業で刈り取っています。

「守る会」の中心メンバーはほとんどが70代です。鈴木さんもことし12月で80歳を迎えます。今も病気と闘いながら活動を続けていて、「気持ちがあっても体が動かない」と悔しさを滲ませることもあります。それでも、子どもたちに喜んでほしいという気持ちは変わりません。行政を巻き込んだ活動の在り方を模索しながら、地域の宝をみんなで守り育てていくと決意しています。

50年後、再び子どもたちの笑顔が帰ってくることを願って。松に希望を託しています。