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変わりゆく10年を見つめたカメラ 「吞ん兵衛横丁」と「育つ双子の命」 【東日本大震災13年の“あれから”】

2024年3月4日 6:11
変わりゆく10年を見つめたカメラ 「吞ん兵衛横丁」と「育つ双子の命」 【東日本大震災13年の“あれから”】

「あの日」から変わり続けた街と人―――。

岩手県の50か所以上で続けてきた定点撮影。津波でがれきに覆われた街は、更地になり、かさ上げされ、多くの場所で震災から7年が経った頃から建物が建ち始めました。10年が過ぎた後、目に見える変化は少なくなりましたが、今なおカメラを向け続けています。

■新たな加工場や魚市場 にぎわいを取り戻す

2013年の釜石港周辺は、津波の被害を大きく受けた建物は取り壊され、 更地になっていました。その後、かさ上げ工事が行われ、 海側に新たな加工場や魚市場も完成。山側は、さらに高く、7メートルまでかさ上げされました。
                        
8年目、飲食店などが入る観光施設もできました。防潮堤も完成し、 2021年時点では、ハード面の整備は終わりつつあります。中心部の大町商店街では、大型の市民ホールも完成。にぎわいを取り戻そうと街づくりが進んでいました。

■震災前の名物 長屋風の「呑ん兵衛横丁」

その商店街の近くに、かつて名物の「呑ん兵衛横丁」がありました。 長屋風の飲み屋が約30店、軒を連ねていました。
                            
横丁で最も古くからやっていた「お恵」。 店主の菊池悠子さんは2007年、「『近い距離で話ができるのはあまりない』っていうのね。こんなに年寄りでも、昔の話するのもいいなっていうことも言ってくれるんです」と話していました。
                    
「呑ん兵衛横丁」は、津波で跡形もなく流されました。菊池さんは2011年6月、「この場所でやれればベスト。屋台でもいいから、ここに集まってやりたい」と話していました。

■年がたつにつれ…街には明かりが

震災の年の暮れ、内陸部に仮設の「呑ん兵衛横丁」ができました。場所は変わっても変わらない味がもてなしてくれます。かつてと同じ賑わいとはいきませんが、横丁は温もりに溢れていました。

年がたつにつれ、街に明かりが戻ってきました。

退去期限を迎えて仮設を出た「お恵」は2019年4月、1年の準備期間を経て町の中心部でようやく再開しました。横丁の他の店は新たにできた飲食店街に入る店があった一方で、資金面などの理由から再開を断念した店も。別々の道を歩んでいます。

■「さあ、これから」の2020年 客足は半分以下に

街づくりも進み、「さあ、これから」と思っていた2020年、新型コロナの影響で客は半分以下に減りました。出張や観光で訪れる人も今はほとんどいなくなってしまいました。
          
82歳になっていた菊池さんは「店開けてから順調だったが、年明けてからコロナ。とんでもない話だよね、本当に。こんなだったらやらなかったけどね」。
             
店の看板にはかつての「呑ん兵衛横丁」の写真が。

菊池さん
「やっぱり呑ん兵衛横丁が一番ですよね。仮設の時も、みんな前向きで一生懸命だった。仮設も楽しかった」
「(店は)こんなに広くいらない。 仮設のときもだけど、人がすれ違うのにぶつかったりするくらいなのが一番いい」

■更地が続いた大槌町 “8年目”以降に…

大槌町の中心部も、東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。ガレキが片付いた後、更地の状態が続きました。
                        
4年目の2015年からかさ上げ工事が本格化し、6年目から建物が建ち始めました。しかし、8年目以降、撮影場所から新たな建物はほとんど見られませんでした。

■震災の前日に分かった妊娠 育った2人

内金﨑加代子さんの妊娠が分かったのは震災の前の日でした。2011年10月に生まれた双子の奏斗くんと啓太くんは2020年、9歳になっていました。

街の中心部で自転車店とカフェを営む内金﨑大祐さんと加代子さん夫婦。店は、震災の7年後に再建を果たしました。新型コロナの影響でカフェは一時、店内での飲食を取り止めましたが、感染対策をして営業していました。
            
内金﨑加代子さん                               
「(大槌で新型コロナの感染確認がなく)ゼロの方がピリピリしている。“第1号”になりたくないし、飲食なんで絶対(感染を)出すものかと、ピリピリしている」

鉄路も復活し、三陸鉄道が走っていますが、 「乗っている人は少ない」と話します。

■笑顔を守る第一歩 「頑張っている姿を…」

かさ上げされた場所に出来た新しい街。街を望む高台に立った大祐さんは「ガレキからこうなって、早いというか10年経った」と話した後、「建つのは建った」「空き地はどうなるのやら」と話しました。

内金﨑大祐さん
「うちの子どもたちは震災の年に生まれた“震災チルドレン”。俺らに出来ることはお店を長くやっていけるように、 がんばっている姿を見せてあげたいな。それが笑顔を守る第一歩」
「(街の活気は)まだもまだもまだ。活気をつくっていかなければ」

内金﨑さん夫婦は店の周辺に広がる空き地に不安を覚えながら、子どもたちの笑顔を守ろうと一日一日を懸命に生きています。

(※2021年3月3日にテレビ岩手の「ニュースプラス1いわて」で放送されたものを再編集しました)

【取材したテレビ岩手・三浦裕紀記者 2024年3月に思うこと】

「ここ同じ場所?」「間違っていないよね?」カメラマンと何度も繰り返した会話。1年が経つと同じ場所と思えない程に被災地の景色は変わりました。

テレビ岩手は、東日本大震災直後から50か所以上の場所で定点撮影を続けています。撮影ポイントは、崖の端や生い茂った木をかき分けていくような危険な場所が多く、撮り終えると難しい冒険を終えた後に近い達成感がありました。津波でがれきに覆われた街は、更地になり、かさ上げされ、多くの場所で震災から7年が経った頃から建物が建ち始めました。

その映像に加え、住む人に話を聞き、街と心の移り変わりを伝えたこの企画。震災から10年は、震災の年に生まれた双子がいる自転車店、名物飲み屋街で居酒屋を営む女性、変化する街で自動車の運転を教えてきた男性、カメラで被災地を撮影し続けた写真店店主を取材しました。

変化する街の景色や音だけでも、不思議とそこに住む人の苦しみや乗り越えた努力まで感じます。10年が過ぎた後、目に見える変化は少なくなりましたが、被災地は復興のゴールを切ったわけではありません。変わらないものや目に見えない変化を伝えていくためにも定点撮影はこれからも続けていきます。