×

11年かけて…娘の遺骨に“おかえり” 福島・大熊町で「いつか暮らしたい」 【東日本大震災13年の“あれから”】

2024年3月2日 1:28
11年かけて…娘の遺骨に“おかえり” 福島・大熊町で「いつか暮らしたい」 【東日本大震災13年の“あれから”】

2年前、自分の手で掘り出した娘の遺骨に“おかえり”と話しかけた木村紀夫さん。避難先から通ったのは、帰還困難区域の福島・大熊町。捜し続けて11年、ようやく二女・汐凪(ゆうな)ちゃんと再会できた瞬間だった。

紀夫さんは自分の経験を伝える活動も始め、2022年10月には、都内の小学校で震災についての授業を行った。震災の時にはまだ生まれていない子どもたち。「自分、家族、友達の命を守れるような皆さんになってほしいと思います。ぜひみんなで考えてください」。地震や台風といった災害が起きた場合にどう行動するか、話し合って欲しいと呼びかけた。

紀夫さんはいつか、汐凪ちゃんがいる、そして家族とのたくさんの思い出が詰まった大熊町の自宅に戻って生活したいと考えている。

■「卒業証書、木村汐凪」 返事をした父

2016年、福島・会津若松市で開かれた卒業式に、津波にのまれた娘はいるはずだった。

「木村汐凪」と呼ばれた名前ーーー。代わりに返事をした父・木村紀夫さんは、壇上で卒業証書を受け取ると、合唱を聴きながらそっと涙を流した。娘の笑顔をもっと、もっと、見たかった。

紀夫さんは父と妻、そして二女の汐凪ちゃん(当時7)の3人を、震災で失いました。

■捜すこと自体が汐凪とのつながりだと

木村紀夫さん
「津波がきたらどうしようかという話を、子どもらに教えられてなくて…」
「やっぱりそれは、今一番こういうことになって後悔している」

紀夫さんは、立ち入りが制限された故郷・福島県大熊町で、津波にのまれた娘を捜し続けていました。

妻・深雪さん(当時37)は沖合で、父・王太朗さん(当時77)は家の近くの田んぼで、亡くなっているのが見つかりました。しかし、汐凪ちゃんだけは見つかっていません。

時間を見つけては避難先から車で6時間以上かけ娘を捜す日々――。

木村紀夫さん
「汐凪を見つけたいということももちろんあるし、それと同時に、あそこで捜すこと自体が、汐凪とのつながりだと思っているので」

    ◇

避難先の長野県で、生き残った長女・舞雪(まゆ)さんと、2人の食事。「できはいかがですか?」と紀夫さんが問いかけると、舞雪さんは「うん」と何度も笑顔でうなずきました。

末っ子だった汐凪ちゃんは、家族みんなに愛されていました。

次ページ
■5年9か月「子供用のマフラーが」
おすすめ
24時間ライブ配信中
日テレNEWS24 24時間ライブ配信中
logo

24時間ライブ配信中