「生涯忘れない日」東日本大震災から11年…復興と追悼の祈り 癒えない思いも…
11日午後2時46分。福島第一原発がある大熊町では、去年までは町の中心部から黙とうすることができませんでしたが、今年は訪れた人や、工事の作業員の方も、海に向かって祈りをささげました。まもなく、多くの住民の方が戻ることができるようになります。東日本大震災、そして、原発事故から11年。復興はまだ、道半ばです。11回目の3月11日を取材しました。
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東日本大震災から11年。各地で朝から静かな祈りがささげられました。
毎月欠かさず、娘と孫が眠るお墓参りをしてきた夫婦。
娘と孫2人を津波で亡くした夫婦
「11年だね。母ちゃんもなんとか頑張ってここまできたの。守ってくれたんだもんね。母ちゃんまだまだあんたたちを供養するために頑張って生きていくからね。守ってくださいね」
「また来るからな」
「また来月来るからね」
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震災遺構として、去年7月から一般公開されている宮城県・石巻市の大川小学校。
当時、大川小4年生 大槻零士さん(21)
「みんなのこと忘れないという思いと、みんなのために生きてるよという思い」
母親と妻を亡くした佐藤信行さん(71)
「もちろん、私は生涯忘れない日ですね。忘れないし、忘れることはできない。そういった1日ですね」
東日本大震災では、1万5900人が死亡し、現在も2523人の行方がわかっていません。
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福島・浪江町請戸地区では、11日も朝から、行方不明者の捜索が行われました。
また、福島第一原発の事故の影響で、今も3万3360人の福島県民が、県内外での避難生活を強いられています。
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午後2時46分、鎮魂の祈りがささげられました。
時が経過しても癒えない思い。
夫と娘を津波で亡くした女性
「本当にこの日が来るのがつらいの。11年たとうが何年たとうが、みなさん『前向きに』って言うけど、私はまだまだそうなれないです」
子供と共に風船に記したのは震災を「忘れない」ことと、この先の「復興」。
「まだ小さいですけど、こんなことしていれば(子供の)記憶に残らないかなあと思って」
震災を知らない世代にもつながれていく記憶。被災地は祈りに包まれています。