地域をつなぐ移動式ラーメン店「あらどっこい」 東日本大震災から“立ち上がる”思い
東日本大震災から11日で11年。コロナ禍の被災地で奮闘する“移動式ラーメン店”を取材するため、宮城県女川町に向かいました。震災で景色が変わり、新型コロナに翻弄される町を見つめながら、何度も立ち上がってきた店主。地元客にも愛されるラーメンを“移動式”で販売するのには、女川町への思いがありました。
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宮城県女川町を進む白いトラック。到着したのは町の中心部にあるスーパーです。その一角でテーブルを広げ準備するのは遠藤憲恒さん(38)。
遠藤憲恒さん(38)
「ここ定位置ですね。なんとなく、海見えるので」
白いトラックはあっという間にラーメン店に様変わりしました。遠藤さんが店主をつとめる移動販売車「あらどっこい」です。
移動式ラーメン店 あらどっこい 遠藤憲恒さん
「おばあさんとかが立ち上がる時に『あらどっこいしょ』って言っていたので、震災復興、立ち上がろうって意味で“あらどっこい”にしました」
店で出すのは、あさりなど魚介の出汁がきいたスープに、つるっとのど越しのよい麺を合わせた一杯です。
お客さん
「スープまで全部飲めるところが、すごくよいです。最後までおいしいです」
地元客にも愛されるラーメンを“移動式”で販売するのには、遠藤さんの町への思いがありました。
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女川町で育った遠藤さん。一度は地元を離れたものの、震災後、津波の被害を大きく受けた町の臨時職員として、復興にも携わってきました。
しかし――
移動式ラーメン店 あらどっこい 遠藤憲恒さん
「復興したんだけど、町中には行きづらいなとか、おれはもう関係ないからみたいな感じの人もいらっしゃって。心の復興というか、町だけがきれいになっても、そこに人の心がついてこないと、すっかすかになっちゃうので」
遠藤さんは、町が新しく生まれ変わっていく中、そこに住む人たちの心が離れていくのを感じたといいます。
町の中心部などから足が遠のく人たちの心の距離を縮めようと、自らお客の元を訪れ、ラーメンを囲み交流する場をその場所でつくる、移動スタイルの店をオープンさせたのです。ラーメンは200軒以上食べ歩き、独学でつくりあげました。
女川を巡り始めて3年、お客同士の輪も広がっています。
お客さん
「誰か知り合いがいたり、コミュニケーションの場というか、僕らも居場所にもなっている」
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しかし、お店が軌道に乗り始めた矢先、遠藤さんを試練が襲います。
遠藤憲恒さん
「1番目にかかっちゃって」
2020年10月、女川町で最初の新型コロナ感染者となったのです。店を応援してくれる人たちに正しい情報を伝えたいと、病状などをSNSに投稿し続けた遠藤さん。
遠藤憲恒さん
「売り上げというよりも残高マイナス。何が減るとか何が来ないじゃなくて、人がいない」
長引くコロナの影響で町は閑散とし、売り上げが約8割減ったこともありました。
遠藤憲恒さん
「私の中では震災の次にコロナで、またかいっていう」
しかし、遠藤さんは店の名のとおり、“あらどっこい”と再び立ち上がります。この日も移動販売車でやって来た遠藤さん。
遠藤憲恒さん
「準備できました?できてないのおれだけだったりして…」
コロナ禍の女川町で新たに始めたのは、キッチンカーなどを集めたイベントです。落ち込む飲食店や町を盛り上げようと、遠藤さん自ら出店者を集め、会場作りも担当しました。去年10月から毎週土曜日に開催しています。
遠藤憲恒さん
「たぶんわたしが町民なら、毎週この日に必ずある、何かしらある状態の方が望むと思うので」
この日集まったのは、隣の石巻市からきた「おでん」のキッチンカーなど4店舗と少なめでしたが、町の内外から足を運ぶお客のにぎやかな声が響いていました。
お客さん
「めちゃうまっ」
お客さん
「こういうのもたまにいいじゃんね、サバイバル風で。うちの中ばっかで食べてもしょうがないから」
震災で景色が変わり、コロナに翻弄される町を見つめながら、何度も立ち上がってきた遠藤さん。
遠藤憲恒さん
「復興というよりも、進化していけるような町。日本中のみなさんからご支援いただいて、ご声援もいただいて復興はできたと思ってるんですけど、その次ですよね。満足することなく、次々に新しい一手を出せればなと」
復興のその先へ。きょうも人々をつなぐラーメンを届けに、遠藤さんの車は出発します。