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東日本大震災11年 それぞれの交“差”点 福島

2022年3月4日 15:16
東日本大震災11年 それぞれの交“差”点 福島

東日本大震災発生から、まもなく11年を迎えます。被災した地元のテレビ局が「被災地の今と被災者の本音」を取材しました。今回は、福島からです。

「故郷を失いたくないって感じですかね」

中学生の時、突如故郷を失った佐藤二菜さん。いまは、川崎市で母・幹子さん、父の3人で暮らしています。

「苦しくないですか?これで支えますね」

美容師の母のようになりたいと、アシスタントとして技術を磨く日々。

二菜さんの故郷、福島第一原発から10kmの富岡町。一時、全域が避難区域となり、すべての住民が避難しました。

「桜のトンネル」は、町の自慢でした。

二菜さん「帰るといっても、帰れないからな~と思って」

避難先を転々とし、大人になった二菜さん。「原発事故で避難してきた」と言えない時期もありました。

どんなときも、いつもそばにいてくれた、母・幹子さん。必死に娘を、守ってきました。

幹子さん「行ってきます」

幹子さんは、電車と車を乗り継いで片道5時間。富岡町に毎月通います。

避難区域のバリケードのそばで営業を再開した美容室「Mist」。
2002年にオープンしたこの店をいまも守り続けています。

店を開けるのは、毎月中旬の1週間ほど。家族との生活もあり、川崎市と富岡町を行ったり来たりする生活。

記者「ホームタウンはどっち?」

幹子さん「気持ち的にやっぱり癒やされる場所は富岡、ここかな…」

本音は娘に故郷の美容室を継いで欲しい。でも…。

幹子さん「この町を見て『私戻りたい』っていうふうには若い子たちは思わない」

去年、3月11日。

二菜さん「ちょうど10年目だからさ。遊びに来ようかなって」

10年経って改めて感じた「故郷」への思い。母の美容室は震災前と変わらず優しい声に包まれていました。

父「来年の抱負は?二菜なんかあるだろ。立派な美容師になるとか」

二菜さん「そうね稼げるようになって、技術もつけた後はそうね~。できたらママの仕事手伝いたいけどね」

年が明け、富岡町では、立ち入りができなかったエリアで通行ができるようになりました。

幹子さん「親が思う以上に、私のこの仕事というか、富岡町でやる仕事を考えてたんだなって。その時思いを聞いて、ちょっと熱くなっちゃいましたね」

美容室の窓には、町自慢の桜。親子は、春を待ちます。

大好きな桜が咲く、故郷を取り戻すためにも。


NNNドキュメント2022年3月6日放送『3・11大震災シリーズ(99)東日本大震災11年 それぞれの交“差”点~被災地の本音~』(テレビ岩手・ミヤギテレビ・福島中央テレビ制作)の福島部分を再編集しました。
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