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福島第一原発 “最悪の事態”を食い止めた現場のリアル 当事者たちは「話せない」から「教訓のため」 【東日本大震災13年の“あれから”】

2024年3月5日 6:52
福島第一原発 “最悪の事態”を食い止めた現場のリアル 当事者たちは「話せない」から「教訓のため」 【東日本大震災13年の“あれから”】

巨大地震と大津波で、危機に陥った福島第一原発。その現場で、最悪の事態を食い止めるため闘った人たちの「リアル」が語られたのは、事故から10年が経った2021年のことだった。

自衛隊による極秘作戦―――。元陸上自衛隊陸将・田浦正人さんは、「(福島第一原発の吉田所長は)『みんな他人事なんです。頑張れ頑張れって言うだけなんです。でも、もう私たちは、現場は、頑張れの限度を超えているんです』と(言っていた)」と明かした。

当事者たちの取材については、“被災者がどう受け止めるのか”がネックとなり「話せない」と取材を断られることが多かった。ただ、時間がたったことで「教訓のために」と、使命感に突き動かされ、死と隣り合わせの現場にいたことを一人また一人と語ってくれた。

■「また爆発したら死んじゃうんだぜ!」

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震による大津波が発生。福島第一原発はすべての電源を失った。

現場からは次々と、緊迫した事態を知らせる声があがった。

「本店!本店!大変です!大変です!」
「爆発が、今、起こりました」
「現場の人は、退避!退避!」
「今、1時間以内に実現可能かどうか!!」
「評論家はいりません!」
「(原発の)周りで我々見てんだぜ!また爆発したら死んじゃうんだぜ」

■あのままだったら「日本の国の終わり、多分」

高まる放射線。そして、降り注ぐコンクリートの塊。死と隣り合わせだった“あの現場”にいた人しか、言えないことがあります。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊・冨岡豊彦さん
「あの状況であのままだったら、日本の国の終わりですよね。多分。」

元自衛官・佐藤智さん
「ドーンと飛んできた、鉄骨が。皮膚が裂けたかなんかで…」

■原子炉建屋の中に入り、電源を復旧させようとした技術者

震災後10年で初めて明かされる当事者たちだけが知る新事実がありました。

元自衛官・岩熊真司さん
「もう20ミリシーベルトを超えて、放射線の量が相当被曝した状態にあるので」

1号機・3号機の水素爆発の時に真下にいた自衛隊隊員たち。

元自衛官・佐藤智さん
「何が爆発してるのか全然状況がわからないんですけど、自分達しか現場にいないから、やるのは自分達しかいないって気持ちがあって」

爆発の恐怖と向き合いながら、原子炉建屋の中に入り、電源を復旧させようとした技術士。

第一原発の技術者・梅松悟さん
「日本が沈むかの時に“線量がちょっと高いからやめよう”なんてこと出来ないですから」
「ただ、怖いのとビビるのは違う」

■敷地内の放射線量は“国家機密”

当時の政府が想定した最悪のシナリオは「東日本壊滅」でした。

自衛隊のヘリによる上空からの放水作戦は失敗。

東京電力本店・実際の音声
「ダメだなー かかってねーよ」
「多分届いてねーや」「何だよ」

最大の危機を救ったのは東京消防庁ハイパーレスキュー隊だった。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊・冨岡豊彦さん
「原発の敷地内の放射線量というのは、私の記憶だとですよ。国家機密だと言われたんですね。あの状況なのに」

■妊娠初期の妻が「行ってこい!」と

3月18日午後11時頃、暗闇・高線量の中で海にホースを出し、燃料プールへの放水を実現した。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊 三縞圭さん
「無線の交信がものすごい怒鳴り声でやってるんで」

その過酷な作業を陰で支える家族たちがいた。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊・三縞圭さん
「(妻は)妊娠初期だったので、そこだけがやっぱりちょっとネックではあったんですけど、看護師をやっているんですけれども。『行ってこい!』というメールが返ってきたんで」

3月19日午後10時40分ごろ、東京消防庁ハイパーレスキュー隊・冨岡豊彦さんは会見で、「隊員は非常に士気が高いので、みんな一所懸命やってくれました。残された家族ですね。本当に申し訳ないと。この場でお詫びと御礼を申し上げたい」と涙を浮かべながら語りました。

■自衛隊の極秘作戦 吉田所長は「みんな頑張れって言うだけ」と

10年後の今、初めて明かされる自衛隊による極秘作戦とは。

元陸上自衛隊陸将 田浦正人さん
「吉田所長から電話があって“来てくれって言われたらすぐ行きます”と言いました」
「(吉田所長は)『みんな他人事なんです。頑張れ頑張れって言うだけなんです。でも、もう私たちは、現場は、頑張れの限度を超えているんです』と(言っていた)」
「『田浦さんたち自衛隊が、自分たちのことをここまで考えてくれてるのがうれしいんだ』ということで、ちょっと涙を流された」

あの日、日本を救うため命を賭した隊員。震災後10年で初めて明かされる、これまで語られてこなかった新真実があった。

(※NNNドキュメント「1Fリアル」で放送されたものを再編集しました)

【取材した福島中央テレビ・岳野高弘 2024年3月に思うこと】

この取材を始めたころ、原発事故から10年が経とうとする中、風化が進み、情報が散乱し始めていると感じていました。「1F」事故の経緯について、改めて自分なりに調べてみると、事故収束作業にあたった人たちの様々な思い、複雑な思いがあることが分かりました。それらはどれも後世に残すべきものでした。

これをテレビマンとしてどう伝えるか、いかに分かりやすく、コンパクトにまとめ、そして何を伝えるのか、そうした点を悩みながら制作しました。

危機に直面した時に彼らは何を思い、どう動いたのか。それらは人にもともと備わっているものなのか。それを見て、人々は何を感じるのか。そして、日本は一体“何に”救われたのか。特に若い世代に知ってもらうことを意識しました。

この取材が始まる前の2017年、私はかつて日本が受けた原爆攻撃の取材に力を入れていました。21万人以上を殺戮した悪魔の兵器・原爆をなぜ日本は防げなかったのか。

私は、元兵士や被爆者にしたように、時間、場所、その時見たものなど可能な限り細かく、聞き取るようにインタビューをしました。私の中では太平洋戦争の過ちを伝えることと福島第一原発事故を伝えることがほとんど一緒でした。言えないこと、不都合なこと、本当のことが明らかになるには時間が必要です。

『1Fリアル』という番組は福島県内で数回、全国では2度放送されましたが、ほとんどの人が見たことがないと思います。今後、できるだけ多くの人に見てもらえるよう、知恵を絞っていきたいと思っています。