福島第一原発 “最悪の事態”を食い止めた現場のリアル 当事者たちは「話せない」から「教訓のため」 【東日本大震災13年の“あれから”】

巨大地震と大津波で、危機に陥った福島第一原発。その現場で、最悪の事態を食い止めるため闘った人たちの「リアル」が語られたのは、事故から10年が経った2021年のことだった。
自衛隊による極秘作戦―――。元陸上自衛隊陸将・田浦正人さんは、「(福島第一原発の吉田所長は)『みんな他人事なんです。頑張れ頑張れって言うだけなんです。でも、もう私たちは、現場は、頑張れの限度を超えているんです』と(言っていた)」と明かした。
当事者たちの取材については、“被災者がどう受け止めるのか”がネックとなり「話せない」と取材を断られることが多かった。ただ、時間がたったことで「教訓のために」と、使命感に突き動かされ、死と隣り合わせの現場にいたことを一人また一人と語ってくれた。
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震による大津波が発生。福島第一原発はすべての電源を失った。
現場からは次々と、緊迫した事態を知らせる声があがった。
「本店!本店!大変です!大変です!」
「爆発が、今、起こりました」
「現場の人は、退避!退避!」
「今、1時間以内に実現可能かどうか!!」
「評論家はいりません!」
「(原発の)周りで我々見てんだぜ!また爆発したら死んじゃうんだぜ」
高まる放射線。そして、降り注ぐコンクリートの塊。死と隣り合わせだった“あの現場”にいた人しか、言えないことがあります。
東京消防庁ハイパーレスキュー隊・冨岡豊彦さん
「あの状況であのままだったら、日本の国の終わりですよね。多分。」
元自衛官・佐藤智さん
「ドーンと飛んできた、鉄骨が。皮膚が裂けたかなんかで…」
震災後10年で初めて明かされる当事者たちだけが知る新事実がありました。
元自衛官・岩熊真司さん
「もう20ミリシーベルトを超えて、放射線の量が相当被曝した状態にあるので」
1号機・3号機の水素爆発の時に真下にいた自衛隊隊員たち。
元自衛官・佐藤智さん
「何が爆発してるのか全然状況がわからないんですけど、自分達しか現場にいないから、やるのは自分達しかいないって気持ちがあって」
爆発の恐怖と向き合いながら、原子炉建屋の中に入り、電源を復旧させようとした技術士。
第一原発の技術者・梅松悟さん
「日本が沈むかの時に“線量がちょっと高いからやめよう”なんてこと出来ないですから」
「ただ、怖いのとビビるのは違う」