幕末、メディア使い「北海道」バズらせた人
世の中で議論を呼んでいる話題について、ゲストに意見を聞く「opinions」。今回の話題は「北海道 命名150年」。ディスカバー・ジャパンの統括編集長・高橋俊宏氏に話を聞いた。
今年は「北海道」と命名されて150年の節目となる。かつて北海道は「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれていたが、日本の領土として明確にするため、名前を改めることになり、1869年8月15日の太政官布告で北海道とすることが周知された。
名前を決めるに当たり、6案が出され、最終的に「北加伊道(ほっかいどう)」の「加伊」が「海」の字となった。
6案は次の通り、北加伊道、日高見道、海北道、海島道、東北道、千島道。
――この「加伊」という文字はどういう意味なのでしょうか。
「加伊」は、大地に暮らす人という意味があります。つまりはアイヌの方ですね。
――そして「北海道」になったわけですが、この話題についてフリップに書いていただきました。
「松浦武四郎」です。
この人は本土ではあまり知名度が高くないのですが、北海道ではあの大泉洋さんを抜いて知名度があるらしいんです。この松浦武四郎さんが北海道と命名しました。
この方は、幕末に探検家として誰よりも早く蝦夷地に入り調査をしたんです。その理由としては、当時、アメリカやイギリス、フランス、ロシアなどの列強が北海道をうかがっていたんです。
そのときに彼は探検をして、そんな現状やアイヌで暮らす人たちについて本にまとめて、当時人気があった絵師に絵を描いてもらい漫画ではないのですが、わかりやすく日本にはこういう蝦夷地というところがあるんだということを知らしめたんです。
そういう意味では日本で初めてメディアを使って、北海道という場所をみんなに知ってもらうことによって“バズらせる”というか、そういうことによって列強から狙われているから助けようと貢献した人なんです。
ただし、この人は明治になって政府が行う北海道開拓のやり方は、アイヌ人に対するリスペクトが足りないという不満があったようで「だったら俺はやめるぞ」と官位を返上し野に下ってしまいます。非常に気骨があり、国に対して北海道の価値を伝えた人です。
――北海道の方からすると英雄のような存在ですね。北海道と命名されて150年ということで、様々なイベントも行われているので、これを機にこうした背景を頭に入れて北海道を訪れるのもいいかもしれませんね。
「静嘉堂文庫美術館」というのが世田谷区にあるのですが、いま松浦武四郎展が行われています。
【the SOCIAL opinionsより】