横田めぐみさん拉致から46年 母・早紀江さん「もうくたくた…」問題解決への道遠く
13歳だった横田めぐみさんが、北朝鮮に拉致されてまもなく46年。母・早紀江さんは7日の会見で「自分が生きているうちに、めぐみさんを助け出したい」という切実な思いを訴えました。
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神奈川・川崎市で7日午後2時頃、横田めぐみさんの母・早紀江さんが記者会見に臨みました。
めぐみさんの母・横田早紀江さん(87)
「(政府にとって)一番大事な問題と言いながら、なかなか動かないという形で、いつもいつも何十年間イライラし続けて、もうくたくたですね」
最愛の娘に一目会うこともかなわないまま、46年という年月が過ぎ去りました。
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1977年11月15日、北朝鮮の工作員に拉致されためぐみさん。当時13歳でした。
全く消息がわからなかっためぐみさんが、“北朝鮮にいるかもしれない”との情報がもたらされたのは、拉致から20年後のこと。以降、早紀江さんは夫の滋さんとともに、めぐみさんの帰国を懸命に訴え続けてきました。
2002年には、日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め謝罪。しかし――
めぐみさんの父・横田滋さん(2002年)
「いい結果が出るということを楽しみにしておりました。しかし結果は死亡という…」
北朝鮮が伝えてきたのは“めぐみさんは死亡した”とする情報でした。
北朝鮮からの情報に次々とウソが明らかになる中、その後もあきらめることなく精力的に活動を続けた横田夫妻。しかし、2人にとってそれは、長すぎる時間でした。3年前、滋さんは娘との再会を果たせぬまま亡くなりました。
横田早紀江さん(今年8月)
「何とかこれは、生きている間に(政府には)結果を出していただきたい」
滋さん亡き後も力の限り活動を続けている早紀江さん。しかし、滋さんが亡くなった歳と同じ87歳になった今年、自宅で倒れたのです。
今年8月、早紀江さんはインタビューで、そのときの様子をnews every.の藤井キャスターに明かしました。
横田早紀江さん(今年8月)
「はっはっはっと、(息が)こういう感じですね。もう静かに…もうこれで終わりなのかな、死んでいくってこういうことなんだなと、本当にそのときは思いましたね」
そのとき頭によぎったというのが、めぐみさんとの再会のために、あと2年だけでも頑張らせてほしいという思いでした。
横田早紀江さん(今年8月)
「90歳までは生きられないなと、何となくいつも思ってるので、せめて2年間くらいなら頑張れるから『せめて2年間だけは生かして』と一生懸命お祈りして」
――だからこそ時間がない
横田早紀江さん(今年8月)
「そうなんです。ほかの方(被害者家族)も、みんなそうだと思いますよ」
――希望と絶望の繰り返しの中で活動する原動力はどこに
横田早紀江さん(今年8月)
「それは、めぐみは大事な子どもですし、本当にいい子に育ってくれたと思うので、自分の子どもがそんな目にあって現在もこのような状況で、あそこ(北朝鮮)に閉じ込められているんだと。やっぱり生きている間は親ですから、いる間は頑張ってあげなきゃいけない。最後まで頑張って生きてあげなきゃいけない。『返しなさい』と言わなきゃいけない」
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早紀江さんは7日、解決に向けた政府の取り組みを改めて強く訴えました。
横田早紀江さん
「こんなに長い年月あらゆることをして、これ以上、何をしたらいいんだろうというくらいまで働いてきて、それでもまだ解決しない。(政府には)本当に何とかしなきゃと、本当に考えて動いていただきたいなと。これだけはお願いしていきたい」