夫婦で築き上げてきた“ふたりの桃源郷”
寅夫さん「元気でお願いします」
フサ子さん「頼みます」
おじいさんとおばあさんはいつも一緒。寝る時も、ごはんも、歯磨きも。この山は“ふたり”で鍬(くわ)を振るい、切り拓(ひら)いた、電気も水道も通っていない“ふたり”だけの桃源郷。田中寅夫さんと、妻のフサ子さんは、共に70歳を過ぎていました。寅夫さんが戦地から帰ってきた、昭和22年。ふるさとに近い山を買い、夫婦で切り拓きました。
寅夫さん「ここが原籍。元気な盛りに血みどろになってやった」
月に一度は、大阪に住む三女から手紙が届きます。
フサ子さん「早う読んでみんさい。はい、お母さんが封筒持っておいてあげるけえ、読みんさい」
娘たちは、父と母の山暮らしを心配していました。寅夫さんが80歳を迎える記念の旅行で、娘たちは山を下りるよう説得しました。
寅夫さん「もうあと、余命幾ばくもないと感じておりますが、迷惑のかからんように、(山)で最期を飾りたいと思いますので…」
長女博江さん「もう出来んようになったから『世話になる』と一言、言いやおじいちゃん」
80歳を過ぎても、ふたりだけの山暮らしは続いていました。ぜんそくが出るようになった、寅夫さん。ついに山から降り、麓の老人ホームに入ることに。体の負担を考えての入居。しかし、2人とも眠れない夜が続いていました。
春になると、2人は外出するようになりました。あの山へ―。
毎朝老人ホームを出て、昼間だけ山で過ごす生活が始まりました。「山に通い始めた両親を、せめて応援しよう」と娘たち家族も大勢やってきました。
寅夫さん「乾杯」
フサ子さん「ありがとうございます」
しかしこの冬、寅夫さんは、前立腺にガンが見つかりました。
フサ子さん「冷いのう、手が。氷みたいな」「はー、ほんまにどうしよう」「おばあさんが何にもできんから…」
「山に帰りたい」最後まで、そう繰り返し、寅夫さんは亡くなりました。
フサ子さん「おじいちゃんの姿が見えんのう」
三女恵子さん「おじいちゃん、おかしいねえおばあちゃん」
フサ子さん「どこ行ったんじゃろう…」
恵子さん「どこ行ったんかね?」
フサ子さん「おじいさーん」
恵子さん「おーいって言いおろう。聞こえたやろおばあちゃん」
フサ子さん「聞こえん…」
認知症が進んだフサ子さん。三女の恵子さんは母を度々山へ連れていきます。
フサ子さん「おじいさんは、なして来んかったんじゃろうか」「おじいちゃーん」「どこ行ったんかな?」
恵子さんと夫・安政さんは山の麓に住み、山の手入れを始めました。
恵子さん「どんなね?おいしい?」
安政さん「おいしい!」
恵子さん「おばあさんとおじいさんみたいになったね」
安政さん「おばあちゃん。山やで」
おばあさんは、おじいさんの元へ…
春。娘夫婦は鍬を入れていました。
恵子さん「面白いね」
2人の桃源郷だったこの山は、いまは家族の桃源郷。
※2013年6月、山口放送で制作したものをリメイク。
【the SOCIAL×NNNドキュメントより】