×

「集まれないなら自分が」移動式子ども食堂

2021年6月17日 21:18
「集まれないなら自分が」移動式子ども食堂

子どもたちや保護者などを対象に食事の提供をしている“子ども食堂”。コロナの影響で、その場での食事の提供は難しく、これまでと同じ活動ができずにいます。「集まれないなら自分が動こう」東京・小平市で新たなスタイルで子ども食堂を始めた女性を取材しました。

■料理で子どもを笑顔にしたい

子ども食堂「カモミール」の代表をつとめる田中貴子さん(57)。

東京・小平市の小学校で長年、給食の調理をしていた田中さん。去年3月、「子ども食堂」をやりたいと一念発起。23年間勤めた市の職員を退職しました。

田中貴子さん
「小学校で家庭環境に恵まれなかったり、複雑な環境にいたりする子どもたちと接するうちに、自分にできることはないかと考えるようになって、料理を通して子どもたちを笑顔にできればと思い、子ども食堂を思いつきました」

しかし、退職直後にコロナの影響は深刻に。当初は知人の「子ども食堂」を手伝う予定でしたが、思うように関わることができない日々が続きました。

たくさんの人の食事の場となる「子ども食堂」は、今年に入っても、これまでのような活動はできませんでした。

■「集まれないなら自分が動く」移動式子ども食堂

そこで田中さんが思いついたのが、“移動式・子ども食堂”でした。

田中貴子さん
「集まれないなら、自分が動こう。人に集まってもらうのではなく、自分が各地を回ればいいということに気がついた」

市内を回って毎回場所が変わるため、各地区にある公民館を借りて調理し、お弁当にして、近くの施設で配ることにしました。

“移動式子ども食堂”は、人が集まらずにできるという点以外にももう一つ利点がありました。それは、これまで子ども食堂がなかったような地区にも提供できることです。

田中貴子さん
「子ども食堂は市内にそれなりにあったのですが、場所が偏っていて提供できていないエリアがありました。移動することでそういう場所にも提供できる」

■移動式でトラブルはいつものこと

今月16日、3回目の“移動式子ども食堂”を開催するため、小平市内の公民館で調理が行われました。集まったのは、地域ボランティアや田中さんの学生時代の友人等、活動に賛同してくれた人たちです。

田中貴子さん
「活動を始めてから本当にいろいろな人に助けられて活動ができています」

コロナ対策のため、入念にアルコール消毒を行いながら、田中さんの指示のもと、テキパキと調理が進められていきます。調理中に、いくつかのトラブルが発生。大型の炊飯器を2台同時に使ったため、ブレーカーが落ちてしまったり、ポテトサラダの器が足りず、急きょビニールにつめての提供に切りかえたり。

しかし、これも“移動式”ではよくあることだといいます。

田中貴子さん
「移動式で行っているので調理する場所が違い、それぞれの場所で広さや使い勝手が違うのでトラブルは毎回起きるんです」

■子どもに人気、学校と同じ味のドライカレー

今回のメニューは、ドライカレーとポテトサラダ。当初は子どもたちが好きなカレーライスの提供を考えていましたが、テイクアウトで汁ものは難しいと判断し、ドライカレーに変更しました。レシピは田中さんが勤めていた小平市の小学校の給食を参考に甘口に作られ、子どもたちに人気のメニューです。

ポテトサラダは、地元の人からジャガイモが届いたため考案したメニューで、大ぶりなウインナーがふんだんに使われています。

■わずか1時間ですべて配布

調理開始から4時間後の午後5時、市内にある介護老人福祉施設の駐車場を間借りしての配布が始まりました。高校生以下は無料、大人は1食300円で、用意されたドライカレーとポテトサラダが次々と手渡されていきます。

小学2年生の息子と一緒にきた44歳の女性は、「近くの子ども食堂がコロナで活動できなくなって、こうした活動を地域を回ってやってもらえるのはありがたい。コロナで経済的に厳しい家庭もあると思うので助かると思う」

およそ1時間後、用意された165食はすべてなくなりました。

■子どもを笑顔にしてみんな笑顔に

1食につき大人から300円を支払ってもらうものの、資金の大半は田中さんが退職金を取り崩して捻出し活動を続けています。3回目の“移動式子ども食堂”を終えた、田中さん。なぜ、自らの出費をしながらも続けているのでしょうか。

田中貴子さん
「はじめは子どもを笑顔にしたいという思いから始めた活動でした。でも、続けるうちに地域から私も手伝いたい、一緒にボランティアをやりたいという人たちが増えてきている。子どもを笑顔にすることで、参加した人たちも笑顔になれる、これは私がやるべき活動なのだと使命感が生まれてきている」

活動を広げたい一方で、自らの出費で資金を賄うには限界を感じることもあるといいます。しかし、活動が知れ渡るようになり、地域の住民や企業から食材を提供したいという声も届くようになり、今後は継続してやるための仕組みづくりを考えたいということです。