天皇陛下 タイ・カンボジア・ラオスの旅~慰霊と親善【皇室 a Moment】
ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今回は、タイ・カンボジア・ラオスへのご訪問について、日本テレビ客員解説員の井上茂男さんとスポットを当てます。
まず何により先に慰霊碑へ
――こちらはどのような瞬間でしょうか?
2012(平成24)年6月、皇太子時代の天皇陛下がカンボジアを訪問した折、1993年に国連平和維持活動(PKO)中に殺害された日本人の文民警察官と、国連の選挙監視で活動していて殺害された日本人ボランティアの慰霊碑を訪ね、花を供えて拝礼される場面です。
カンボジアは、1953(昭和28)年フランスから独立しましたが、ベトナム戦争に巻き込まれ、さらに左翼革命勢力ポル・ポト派の武装蜂起によって始まった内戦と、100万人とも言われる大虐殺、その後のベトナム軍によるプノンペン占領など、長い戦乱の時代が続きました。
1991(平成3)年、国連主導による和平プロセスが始動し、新生カンボジア樹立に向けた取り組みが進められる中、日本も国連平和維持活動(PKO)協力法により、自衛隊の施設部隊や警察官を文民警察官として派遣しました。
そのような中、1993(平成5)年4月8日、国連のボランティア選挙監視員として活動していた当時25歳の中田厚仁(ナカタ・アツヒト)さんが中部コンポントム州を国連の車で移動中に武装グループに射殺される事件が起きました。
さらに5月4日には日本の文民警察官らの車列がロケット弾や自動小銃などで襲われ、岡山県警の当時33歳だった高田晴行(タカタ・ハルユキ)警視がその場で死亡、4人が重軽傷を負いました。
陛下がカンボジアで花を手向けられたのがこの2人の慰霊碑でした。訪問の時点ですでに19年が経っていましたが、陛下は中田さん、高田さんという犠牲者のことを忘れることなく、敬意を表し、心を寄せられたのだと思います。
「心の水」というタイの言葉に思いやりを込めて
――こちらは、インドシナ半島の地図ですが、中央部に「タイ王国」があります。その北東、中国と国境を接して「ラオス人民民主共和国」、その南、タイとベトナムに挟まれて「カンボジア王国」があります。天皇陛下が、この3か国を訪問されたのが、ちょうど10年前ですね。
2012年の3か国訪問は、7日間、各国それぞれ2泊ずつ滞在されました。最初の訪問国、タイ・バンコクの歓迎式典は、突然の土砂降りの中で行われました。
――激しい雨の中の式典は珍しいですよね。タイ王室といいますと日本の皇室は大変親密な関係にあるという印象ですが、この時も王族とも会われたんですか?
はい。当時のプミポン国王夫妻を王宮に訪ねられました。国王は病院で療養中でしたが、一時的に王宮に戻って、陛下と約3時間にわたって和やかに歓談しました。そのプミポン国王は2016(平成28)年10月、88歳で亡くなりました。在位70年4か月。当時、君主として世界最長の在位でした。
――天皇陛下にとっても、タイはゆかりが深い国なんでしょうか?
はい。陛下は浩宮時代の大学3年生の時に10日間、タイを私的に旅行されています。この時はバンコクでエメラルド寺院や旧王宮などを訪れ、また古都アユタヤにも足を延ばされました。
2012年の訪問でも、32年ぶりにアユタヤを訪れ、ユネスコの世界遺産に登録されているアユタヤ王宮遺跡などを視察し、熱心に説明を聞かれました。
さらに、チャオプラヤ川を海軍の船で約20キロにわたって視察されました。この前の年、タイでは大規模な洪水が発生して多くの人命が失われ、世界経済に大きな影響が出ましたが、被害が大きかったのがこの川の流域です。
この夜、陛下はシリントン王女主催の晩さん会でこの水害について触れ、同じ年に起きた東日本大震災へのタイからの支援にも感謝しながら、次のように述べられています。
天皇陛下
「タイ語で“思いやり”のことは、“ナム・チャイ”すなわち“心の水”と呼ばれると伺っております。水は、時には、大きな水害をもたらすこともありますが、大地を潤し、川に流れ、そして海を介して我々の国を結びつけています。両国で発生した災害に際して示された、両国国民の“ナム・チャイ”は、これからも両国をつないでいくものと確信しております」
――今の言葉を聞きますと、日本の国民だけでなくタイの国民に向けても心を寄せられていることが分かりますし、文面から水の問題、水について研究されている天皇陛下らしい言葉だなと感じました。
思いやりを、「心の水」というタイの言葉を踏まえて広げられ、とても素敵な言葉だったと思います。
「人と人との交流が国と国との交流に発展する」という思い
――そして、2番目の訪問先がカンボジアですね。
はい。カンボジアで最初に訪ねられたのが、冒頭にご紹介した高田さんの慰霊碑です。その後、歓迎式典に臨み、首相と面会し、中田厚仁さんの慰霊碑に供花されました。他の日程に優先しての慰霊だったことがうかがえます。
中田さんの父親で、事件後、自らも国際平和のためのボランティア活動を始めた中田武仁(タケヒト)さんが、次のように話しています。
中田武仁さん「皇太子殿下から厚仁の慰霊碑にお花を賜りました。こういう若者がいたのだということを、もう一度多くの日本国民が誇りを持って思い出せる機会を作っていただいたことに対して、私は大変光栄に思っています」
カンボジアでは、国旗にも描かれている世界遺産の巨大な寺院遺跡・アンコールワットを訪ね、内戦で破壊された寺院の修復に長年携わって来た日本の専門家から熱心に話を聞かれました。
また、王立プノンペン大学の日本語学科を訪ね、日本語を学ぶカンボジア人学生の授業をご覧になりました。
学生「カンボジア人に会ってどう思われましたか?」
天皇陛下「カンボジア人? そうですね。似てますね。ひとこと付け加えると、親しみをとても覚えますね。親しみを」「人と人との交流がやがて国と国との交流に発展するものだと思います。しっかりと日本のことについていろいろ勉強していただければと思います」
さらに、王宮にシハモニ国王を訪ねて歓談もされました。国王は陛下の訪問の2年前に国賓として来日しています。
私はこの時の宮中晩さん会を取材しましたが、国王の何とも言えないうれしそうな表情が忘れられません。晩さん会には、カンボジアで亡くなった中田厚仁さんの両親も招かれ、皇室の心遣いを感じたものでした。その国王の父が、前の国王だったシハヌーク殿下です。
この人は「国王」、退位して「前国王」、「国家元首」、復位して「国王」と、立場がいろいろ変わりましたが、最初の退位の後から「シハヌーク殿下」という敬称で呼ばれました。
戦後、日本は1952(昭和27)年、国際社会に復帰しますが、その翌年、昭和天皇が初めて会った最初の外国の国王がシハヌーク国王で、さらに2年半後に迎えた初めての国賓も、退位して首相となっていたシハヌーク前国王でした。カンボジアは戦後の日本にとってゆかりのある国なんですね。
そして、シハモニ国王は2019年の天皇陛下の即位の礼にも出席しています。陛下は固い握手をかわし旧交を温められていました。
――実は私もカンボジアに2度行ったことがあるんですが、カンボジアの方って本当に日本人にとても親しみを覚えてくださっていて、町中やお店などで「こんにちは」「ありがとう」と日本の挨拶をしている方がとても多いなと感じたんですね。その経験を踏まえますと、先ほど天皇陛下がおっしゃっていた「人と人とのつながりが、やがて国と国とのつながりに発展していく」ということを、じんわりといま感じています。
メコン川で川下り
ーーそして、最後の訪問国がラオスです。
こちらはラオスの首都ビエンチャンのシンボル「タートルアン大塔」です。16世紀に建立された高さ45メートルの仏塔がある寺院で、陛下はお参りをされました。
――膝をついていらっしゃる姿は珍しいですよね。
珍しいと思います。現地のしきたりにならわれたんだと思います。また、国家主席主催の晩さん会ではラオスの民族芸能などを楽しまれ、日本の援助で建てられた武道センターや、ラオス北部にある代表的な寺院「シエントーン寺院」などを視察されました。
このラオスでも、陛下は「水問題」の知見を広げられました。メコン川を船上から視察し、1時間半にわたるクルーズで、昼食会にも臨まれました。下船後、カメラの前で感想を話されています。
天皇陛下「メコン川をこういう形で見ることが出来まして、それぞれ川と人との結びつきについて理解を深めることが出来て良かったと思います」
記者「お洋服、とてもお似合いですけども」
天皇陛下「これは、いただいたものですけれども。2着いただいて。着心地はとてもいいですね」
――陛下、とても柔らかい、明るい表情でいらっしゃいますね
そうですね。注目したいのは、訪問を終えて発表された陛下の「感想」です。友好親善に対する陛下の考え方がよくわかるので、3つのポイントをまとめました。
陛下はこの訪問を終えて、友好親善の強化について、第一にそれぞれの国をよく知ること、第二に各国の過去を理解し、直面する課題を知り、日本の協力について理解を深めること、第三に将来に向けて人と人のつながりを大切にし、互いの国に関心を持つ層を厚くすること、とりわけ若い世代の交流を深めていくこと、これらが大切と述べられています。
このポイントを踏まえて改めてこの3か国訪問を振り返ると、世界遺産を訪ねるのはその国の歴史を知るため、日本人慰霊碑に花を手向けたのは、もちろん慰霊のためですが、日本の協力について理解を深める意味があり、日本人学校や大学などを訪ねたのは、人と人との交流を大切にし、若い人たちとの交流を深めるため――と、陛下の考えに沿った日程だったことがうかがえます。
――天皇陛下の友好親善と言いますと、イギリス留学のイメージもありますから、ヨーロッパ中心であるというような一方的なイメージがありましたが、今回いろいろなお言葉を聞いて、アジアでも人と人の結びつきを大切にされていたんだなということが分かりました。
そうですね。この3年前のベトナム訪問と合わせ、アジアにもしっかり目を向けられていることを改めて感じます。それと同時に、陛下がカンボジアで慰霊碑を訪ねて供花された中田厚仁さんと、高田晴行さんの犠牲を、私たちは忘れてはいけないと強く思いました。
――国に思いをはせ、そして一人ひとりの心に寄り添ってくださる姿勢とお言葉を、きょうは学んだように思います。
「皇室日記@日テレNEWS24」。きょうは日本テレビ客員解説員の井上茂男さんにご出演いただきました。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。