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禎子さんの折り鶴~千羽になったら願いが叶うんよ~

2022年10月28日 12:30
禎子さんの折り鶴~千羽になったら願いが叶うんよ~

広島の平和公園にある「原爆の子の像」。モデルとなった佐々木禎子さんは、被爆の10年後に白血病で亡くなった。12歳の少女は「鶴を千羽折ったら願い事が叶う」と信じ、「病気を治したい」「学校に行きたい」と折り鶴に願いを託した…。

彼女の生涯を広めようと、英語の紙芝居に取り組む広島の高校生の思いとは…

原爆投下から10年後、少女は「白血病」で亡くなりました。

「千羽折るんよ。千羽になったら願い事が叶うんよ。早うようなって、みんなと学校に行きたい。死にとうない…」

少女は、いま「原爆の子の像」となって、世界中の平和を見守っています。モデルとなったのは佐々木禎子(さだこ)さん。兄、雅弘さんは、禎子さんの思いを語り継いできました。

兄・雅弘さん「早く良くなりたい。良くなって早くおうちに帰りたい。学校に行きたい。そう思って一生懸命 鶴を折りました。千羽折りました。でも、神様はまだ禎子の体をよくしてはなかったんです」

2歳の時、爆心地から約1・6キロの自宅で被爆した禎子さんと雅弘さん。

兄・雅弘さん「黒い雨が降ってきたわけよ。ひょっと禎子の顔を見たら、禎子の顔やお母さんの顔が筋のように真っ黒になっているわけね。もうびっくりして大泣きです。禎子も。もうお互い大泣き。それでもう怖くて怖くて」

禎子さんの生涯が描かれた紙芝居。2歳で被爆した場面から始まります。12歳までは健康な女の子。足が速かったため、あだ名は「サル」。しかし、小学6年生の冬…「白血病」に。

入院中に聞いた「鶴を千羽折ると願いが叶う」という言い伝え。痛みに耐えながら折り続けました。

8か月に及ぶ闘病…願いは叶いませんでした。

禎子さんの親友・川野登美子(かわの・とみこ)さん

川野さん「禎ちゃんと私と。仲良かったから。で、これが私なんですけどね。私の背の前が禎ちゃんだったんで、いつも一緒に走るようになるんですよ。だから運動会で2位しかとったことない。」

病院の先生からは、「病状は深刻だ」と聞かされていました。

川野さん「もう死ぬんじゃいうことがわかってたんですよ。中学校のその頃ね。涙も見せちゃいけないしそういう素振りをしたらいけないし。この胸の内っていうのがね、こう例えようもないくらい、つらいものでした」

禎子さんが亡くなったあと、同級生は募金活動を始め、3年後、「原爆の子の像」が完成。この像は、やがて平和の象徴となり、いまでも世界中から絶えず千羽鶴が寄せられています。

兄・雅弘さん「はい、これが禎子の折り鶴です。見てわかる通り、本当に精神込めて折っている」

「死にとうない…」

願いを込めて折った鶴は、1500羽を超えていました。

禎子さんの思いは、翻訳された台本で高校生が伝え続けています。高校1年生の三井結葉(みつい・ゆいは)さんは、禎子さんの役を自ら立候補しました。

三井さん「自分がこういう状況になったら、絶望的になっていくと思うんですけど、やっぱり禎子さんは“生きたい”っていう前向きな気持ちがあるのは本当にすごいなと思う」

この日、練習してきた紙芝居をインドネシアとフィリピンの中高生にオンラインで届けます。

I want to go to school again. (また学校に行きたい)
I don't want to die. (死にとうない)
Mom, I'm sorry. (母さん、ごめんね)

海の向こうのおよそ150人の生徒に伝えた10分余りの紙芝居。みんなと学校に行ける尊さを学びました。

This is our cry. (これは僕らの叫びです)
This is our prayer(これは私たちの祈りです)
to create peace in the world.(世界に平和をきずくための)

戦争で犠牲になった、すべての子どもたちのために…「原爆の子の像」は、祈り続けます。



2022年7月31日放送 NNNドキュメント’22『禎子さんの折り鶴~千羽になったら願いが叶うんよ~』をダイジェスト版にしました。
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