東日本大震災 14年前の「未公開映像」分析 「引き波」の脅威と新たな仮説【バンキシャ!】
東日本大震災からまもなく14年。メディア未公開だった津波の瞬間や引き波の脅威、避難生活の様子などが残されていた記録映像の分析から、「新たな仮説」が浮かび上がりました。3.11の記憶と教訓を南海トラフ地震など将来の津波対策へ。【バンキシャ!】
◇
4日、バンキシャ!は宮城県気仙沼市へ。
及川信勝さん、81歳。棚から取り出したのは1枚のDVD。
バンキシャ!
「東日本大震災と書いてありますね」
14年間、世に出ることがなかった震災の映像だ。2011年3月11日、東日本大震災。
女性たち
「ありゃありゃ屋根までのった」
津波が家を押し流していく。
男性
「大きい波きた」
及川 信勝さん(81)
「きたきたきた」
映像は3時間10分48秒。震災の直後から避難生活までが、記録されていた。14年たった今も及川さんの記憶に強く残るのは、この地域を襲った激しい「引き波」だった。
及川さん
「引き波っていうのはすごい」
わずか数分で猛烈な勢いとなった、引き波。それは研究者のこれまでの想定を覆すものだった。
津波のメカニズムに詳しい 東北大学 今村 文彦 教授
「これは本当に代表的な引き波の映像になる」
◇
及川さんが案内してくれたのは、当時避難した自宅近くの高台。海から300メートルほど離れた場所だ。ここで14年前…。
女性
「ドッと来るんじゃないんだな、じわじわと来るんだもの」
町に押し寄せる津波。地震発生は午後2時46分。映像に記録されていた時刻は午後3時18分。実際の時間より少し遅れているが、地震発生の30分から40分後には津波が到達していたとみられる。
この表示をもとに時間の経過で変わる津波の動きに注目した。
表示は午後3時19分。複数の家が画面左の方に流されていく。およそ1分後。
女性
「あああ何にもなんねぇ」
今度は家が画面右、海の方へと流されていった。「引き波」だ。引き波が始まって、わずか3分後には…
及川さん
「なななななななな」
女性
「この世のものとは思えない」
白波をたてながら激しくうねる様子が。
及川さん
「とにかく津波はすごかったよ本当に。勢いはすごいよ。引き波ってのはすごい」
その引き波のあとにやってきたのが…
男性
「大きい波きた!逃げろ、大きい波きた」
及川さん
「きたきたきた」
男性
「でっけぇ」
及川さん
「おーーーい」
津波の第2波だ。その波を、カメラが捉えていた。バイクで逃げてくる人の姿も。
男性
「蔵内(くらうち)ない。蔵内全部ない」
画面右奥の蔵内という地域が津波にのみ込まれたという。及川さんと家族はさらに高い場所へ避難し、全員無事だった。
次に記録されていたのは、繰り返し押し寄せる津波への注意を促す声だった。
男性
「おーい!津波が来るぞ」
「おーーい!早く逃げろ!津波が来るぞ」
次に映っていたのは震災当日の夜の避難所。発電機を使ったのだろうか、わずかな明かりがともっていた。
携帯電話はつながらず、情報を得られるのはラジオのみ。
ラジオの音声
「大きな第2波、第3波が到達の恐れがありますので、沿岸には近づかないようお願いいたします」
及川さんもこの避難所で一夜を過ごしたという。
夜が明けると、避難所の様子が明らかに。
毛布にくるまり横になる高齢者。子どもの姿も。みんなで持ち寄ったのか、オムツが積まれていた。電気・ガス・水道はすべて使えない状況で、20畳ほどの部屋に30人以上が避難していたという。
この避難所におよそ2か月間、身を寄せていた人に話を聞くことができた。
避難していた人
「この近辺は船がある人が多いので、発電機を持っている方が何人かいて、寄せ集めて、夕方5時過ぎくらいに電気をつけて」
発電機で暖房が使えたため寒さはしのげたという。
◇
震災から約2か月間、宮城県内の各地で映像を記録した及川さん。バンキシャ!が、及川さんが撮影したポイントを地図に落とし込む。
及川さん
「こうやって見ると、志津川から気仙沼まで結構歩いたんだな」
“忘れられない光景”をいくつも目にしたという。
震災から2週間後、3月25日。
及川さん
「これ、油(ガソリン)入れてる」
ガソリンや灯油を求めてできた、長い車の列。
さらに2週間たっても、ガソリンスタンドではこんな光景が。自転車をこいでいるような人の姿。
及川さん
「電気もねぇ、何にもねぇから、ポンプに足踏みをつけて、足でこいでポンプで(ガソリンを)くみ上げる」
震災からおよそ1か月。川には、仮設の橋ができていた。
及川さん・妻
「生きた心地がしなかった」
崩れた建物や陸に押し上げられた船はそのままになっていた。
及川さん
「船があがっている」
及川さん・妻
「大きな船あがったんだな」
まるで違う光景になってしまった、ふるさと。なぜ、及川さんは撮影し続けたのか。同行していた知人とはこんな会話が。
男性
「撮っておけよ、こんなことないぞ。今からの教訓だ」
バンキシャ!
「(映像を)残しておかなきゃいけない?」
及川さん
「はい。残しておこうかなという気持ちはありました。自分が撮った映像を見ると、津波というのはこんなに恐ろしいのか。まず地震が起きたら直ちに逃げるとかそんな心構えはありますよ」
◇
今回、及川さんが撮影していた映像は、科学的にも大きな意味があるという。
津波の専門家が注目したのは「引き波」だ。
東北大学 今村 文彦 教授
「白波を立てて」
桝 太一キャスター
「これは引いているんですね」
今村教授
「そうです。右側に完全に引いて波打つような形になっています」
「かなり流速としては速い状況だと思います」
引き波が発生したのは、画面の表示で午後3時20分。このときはゆっくりと沖に向かって流れていた。しかし、そのわずか4分後。激しい流れに変わった。
こうした引き波の短時間の変化が映像に残されていたことについて。
今村教授
「一気に拡大して非常に強い流れになりますので、その実態を示してくれる貴重な映像だと思います」
東日本大震災における行方不明者は、警察庁によると2520人。(2月末現在)
今村教授によると、多くの行方不明者が出た要因は「引き波」だったという。
今村教授
「特に引き波に関しての資料は映像も含めてあまり多くない。引き波こそが実は津波被害の拡大につながるもの」
桝キャスター
「14年目にして新たに提供された記録ですけど、貴重だなという感じ?」
今村教授
「非常にしぶきをあげて流れているので、これは本当に代表的な引き波の映像になる」
◇
さらに映像には、研究者のこれまでの想定を覆すかもしれないものが記録されていた。
14年もの間、世に出ることのなかった気仙沼市・今朝磯漁港で撮影された津波の映像。
津波のメカニズムに詳しい東北大学の今村文彦教授に見てもらう。注目したのは画面右下の撮影時間。
今村教授
「貴重だと思います。時間、タイムコードをきちんと残しているものは本当に数少ない。(津波の)実態をより明確にできるのではと思います」
この撮影時間が、“津波から命を守る研究の鍵”を握るという。
バンキシャ!は、この時間の正確さを検証した。
まず注目したのは、津波が襲った日の夜。避難所で流れていたラジオの音声。
「警報が解除されるまでは、第一波に準ずるような…」
この声…。当時会見を行った枝野官房長官の声だ。日本テレビはこの会見を生中継していた。注目したのは、日付が変わった午前0時21分の音声。
枝野官房長官(当時)
「警報が解除されるまでは第一波に準ずるような…」
もう一度、及川さんが撮影した映像を見てみる。
「警報が解除されるまでは第一波に準ずるような…」
同じ言葉、同じスピード。間の取り方も全く同じだ。話し始めは、午前0時12分57秒。
実際に官房長官が話し始めたのは、午前0時21分5秒。このラジオが生放送であれば、映像の時刻は、実際より8分8秒遅れていることになる。
続いて注目したのは、この場面。3月25日、ラジオから聞こえてきたのは…
「ポーン」
もう一度。
「ポーン」
これは何の音なのか?バンキシャ!は、捜査機関への協力も行う音声研究所に分析を依頼した。周波数などを調べてもらうと…
バンキシャ!
「どこがポーンとなる?」
千葉音声研究所 村岡 睦稔 代表理事
「こちらで表されたのがポーンというものです。これはちょうど、880Hzを指し示していることがわかりました」
「おそらく時報で、疑いの余地はないだろうと考えられます」
この音は、NHKのラジオが毎時0分に鳴らす時報だと分析した。
「ポーン」
映像の時刻は、午後1時51分44秒。この時間から最も近い午後2時の時報だったすると、8分16秒の遅れ。枝野官房長官の会見と同様、約8分遅れていることになる。
さらに、5月に避難所で撮影された、このシーン。うしろに映る時計は、午後5時20分を指していた。時計が正しいとすると、ここでもやはりズレは約8分。
バンキシャ!は、これらの検証結果から、及川さんが撮影した映像の時刻は、実際より約8分遅れていると仮定した。だとすると、この映像はどのような意味を持つのか。
専門家は、「引き波」が起きた時刻に着目。強烈な引き波が起きていたのは、映像に表示された午後3時23分頃ではなく、午後3時31分頃になる。これが、新たな仮説につながると指摘する。
これまでの分析では、津波の第1波は、動画が撮影された今朝磯漁港と、その隣の気仙沼湾、南三陸町に、ほぼ同時に到達。午後3時31分頃も、3つの地点ではともに「押し波」が続いていたと考えられていた。
しかし、この映像が出てきたことで、今朝磯漁港だけが同じ頃、強い引き波が始まっていた可能性が出てくるという。
桝キャスター
「同じような場所で、押しと引きのタイミングがズレるというのはあり得るのですか?」
今村教授
「今まではあまり考えられなかったです」
「三陸海岸のように湾が複雑にあると、隣同士の湾でもだいぶ津波の規模やタイミングが違う可能性があります」
入り組んだ地形では、津波がこれまでの想定とは違う動きをする可能性があるという。
では、30年以内に80%程度の確率で発生し、関東から九州の広い範囲に、巨大な津波が押し寄せるとされる南海トラフ巨大地震はどうなのか。(南海トラフ地震CG/内閣府提供)
防災対策を話し合う、国の検討会の委員も務める今村教授は…
今村教授
「南海トラフの地域もこの三陸と同様な地形を持っているので、事実、このような状況が発生する」
「命を最終的に守るためには、今回のような引き波であったり、かなり複雑な津波というのをしっかり予測してあげる。これによって対策を、あらゆるものを考えていく必要があると思います」
この及川さん撮影の映像が、将来の津波対策にいかせるという。
桝キャスター
「14年目で初めて出てきた映像ではありますが、未来の犠牲者を1人でも減らすための一歩になると考えていいでしょうか?」
今村教授
「今回の状況を正しく理解することによって、次への備え、新たな科学技術の発展が期待できます。きちんといかしていければと思います」
*3月9日放送『真相報道バンキシャ!』より
◇
4日、バンキシャ!は宮城県気仙沼市へ。
及川信勝さん、81歳。棚から取り出したのは1枚のDVD。
バンキシャ!
「東日本大震災と書いてありますね」
14年間、世に出ることがなかった震災の映像だ。2011年3月11日、東日本大震災。
女性たち
「ありゃありゃ屋根までのった」
津波が家を押し流していく。
男性
「大きい波きた」
及川 信勝さん(81)
「きたきたきた」
映像は3時間10分48秒。震災の直後から避難生活までが、記録されていた。14年たった今も及川さんの記憶に強く残るのは、この地域を襲った激しい「引き波」だった。
及川さん
「引き波っていうのはすごい」
わずか数分で猛烈な勢いとなった、引き波。それは研究者のこれまでの想定を覆すものだった。
津波のメカニズムに詳しい 東北大学 今村 文彦 教授
「これは本当に代表的な引き波の映像になる」
◇
及川さんが案内してくれたのは、当時避難した自宅近くの高台。海から300メートルほど離れた場所だ。ここで14年前…。
女性
「ドッと来るんじゃないんだな、じわじわと来るんだもの」
町に押し寄せる津波。地震発生は午後2時46分。映像に記録されていた時刻は午後3時18分。実際の時間より少し遅れているが、地震発生の30分から40分後には津波が到達していたとみられる。
この表示をもとに時間の経過で変わる津波の動きに注目した。
表示は午後3時19分。複数の家が画面左の方に流されていく。およそ1分後。
女性
「あああ何にもなんねぇ」
今度は家が画面右、海の方へと流されていった。「引き波」だ。引き波が始まって、わずか3分後には…
及川さん
「なななななななな」
女性
「この世のものとは思えない」
白波をたてながら激しくうねる様子が。
及川さん
「とにかく津波はすごかったよ本当に。勢いはすごいよ。引き波ってのはすごい」
その引き波のあとにやってきたのが…
男性
「大きい波きた!逃げろ、大きい波きた」
及川さん
「きたきたきた」
男性
「でっけぇ」
及川さん
「おーーーい」
津波の第2波だ。その波を、カメラが捉えていた。バイクで逃げてくる人の姿も。
男性
「蔵内(くらうち)ない。蔵内全部ない」
画面右奥の蔵内という地域が津波にのみ込まれたという。及川さんと家族はさらに高い場所へ避難し、全員無事だった。
次に記録されていたのは、繰り返し押し寄せる津波への注意を促す声だった。
男性
「おーい!津波が来るぞ」
「おーーい!早く逃げろ!津波が来るぞ」
次に映っていたのは震災当日の夜の避難所。発電機を使ったのだろうか、わずかな明かりがともっていた。
携帯電話はつながらず、情報を得られるのはラジオのみ。
ラジオの音声
「大きな第2波、第3波が到達の恐れがありますので、沿岸には近づかないようお願いいたします」
及川さんもこの避難所で一夜を過ごしたという。
夜が明けると、避難所の様子が明らかに。
毛布にくるまり横になる高齢者。子どもの姿も。みんなで持ち寄ったのか、オムツが積まれていた。電気・ガス・水道はすべて使えない状況で、20畳ほどの部屋に30人以上が避難していたという。
この避難所におよそ2か月間、身を寄せていた人に話を聞くことができた。
避難していた人
「この近辺は船がある人が多いので、発電機を持っている方が何人かいて、寄せ集めて、夕方5時過ぎくらいに電気をつけて」
発電機で暖房が使えたため寒さはしのげたという。
◇
震災から約2か月間、宮城県内の各地で映像を記録した及川さん。バンキシャ!が、及川さんが撮影したポイントを地図に落とし込む。
及川さん
「こうやって見ると、志津川から気仙沼まで結構歩いたんだな」
“忘れられない光景”をいくつも目にしたという。
震災から2週間後、3月25日。
及川さん
「これ、油(ガソリン)入れてる」
ガソリンや灯油を求めてできた、長い車の列。
さらに2週間たっても、ガソリンスタンドではこんな光景が。自転車をこいでいるような人の姿。
及川さん
「電気もねぇ、何にもねぇから、ポンプに足踏みをつけて、足でこいでポンプで(ガソリンを)くみ上げる」
震災からおよそ1か月。川には、仮設の橋ができていた。
及川さん・妻
「生きた心地がしなかった」
崩れた建物や陸に押し上げられた船はそのままになっていた。
及川さん
「船があがっている」
及川さん・妻
「大きな船あがったんだな」
まるで違う光景になってしまった、ふるさと。なぜ、及川さんは撮影し続けたのか。同行していた知人とはこんな会話が。
男性
「撮っておけよ、こんなことないぞ。今からの教訓だ」
バンキシャ!
「(映像を)残しておかなきゃいけない?」
及川さん
「はい。残しておこうかなという気持ちはありました。自分が撮った映像を見ると、津波というのはこんなに恐ろしいのか。まず地震が起きたら直ちに逃げるとかそんな心構えはありますよ」
◇
今回、及川さんが撮影していた映像は、科学的にも大きな意味があるという。
津波の専門家が注目したのは「引き波」だ。
東北大学 今村 文彦 教授
「白波を立てて」
桝 太一キャスター
「これは引いているんですね」
今村教授
「そうです。右側に完全に引いて波打つような形になっています」
「かなり流速としては速い状況だと思います」
引き波が発生したのは、画面の表示で午後3時20分。このときはゆっくりと沖に向かって流れていた。しかし、そのわずか4分後。激しい流れに変わった。
こうした引き波の短時間の変化が映像に残されていたことについて。
今村教授
「一気に拡大して非常に強い流れになりますので、その実態を示してくれる貴重な映像だと思います」
東日本大震災における行方不明者は、警察庁によると2520人。(2月末現在)
今村教授によると、多くの行方不明者が出た要因は「引き波」だったという。
今村教授
「特に引き波に関しての資料は映像も含めてあまり多くない。引き波こそが実は津波被害の拡大につながるもの」
桝キャスター
「14年目にして新たに提供された記録ですけど、貴重だなという感じ?」
今村教授
「非常にしぶきをあげて流れているので、これは本当に代表的な引き波の映像になる」
◇
さらに映像には、研究者のこれまでの想定を覆すかもしれないものが記録されていた。
14年もの間、世に出ることのなかった気仙沼市・今朝磯漁港で撮影された津波の映像。
津波のメカニズムに詳しい東北大学の今村文彦教授に見てもらう。注目したのは画面右下の撮影時間。
今村教授
「貴重だと思います。時間、タイムコードをきちんと残しているものは本当に数少ない。(津波の)実態をより明確にできるのではと思います」
この撮影時間が、“津波から命を守る研究の鍵”を握るという。
バンキシャ!は、この時間の正確さを検証した。
まず注目したのは、津波が襲った日の夜。避難所で流れていたラジオの音声。
「警報が解除されるまでは、第一波に準ずるような…」
この声…。当時会見を行った枝野官房長官の声だ。日本テレビはこの会見を生中継していた。注目したのは、日付が変わった午前0時21分の音声。
枝野官房長官(当時)
「警報が解除されるまでは第一波に準ずるような…」
もう一度、及川さんが撮影した映像を見てみる。
「警報が解除されるまでは第一波に準ずるような…」
同じ言葉、同じスピード。間の取り方も全く同じだ。話し始めは、午前0時12分57秒。
実際に官房長官が話し始めたのは、午前0時21分5秒。このラジオが生放送であれば、映像の時刻は、実際より8分8秒遅れていることになる。
続いて注目したのは、この場面。3月25日、ラジオから聞こえてきたのは…
「ポーン」
もう一度。
「ポーン」
これは何の音なのか?バンキシャ!は、捜査機関への協力も行う音声研究所に分析を依頼した。周波数などを調べてもらうと…
バンキシャ!
「どこがポーンとなる?」
千葉音声研究所 村岡 睦稔 代表理事
「こちらで表されたのがポーンというものです。これはちょうど、880Hzを指し示していることがわかりました」
「おそらく時報で、疑いの余地はないだろうと考えられます」
この音は、NHKのラジオが毎時0分に鳴らす時報だと分析した。
「ポーン」
映像の時刻は、午後1時51分44秒。この時間から最も近い午後2時の時報だったすると、8分16秒の遅れ。枝野官房長官の会見と同様、約8分遅れていることになる。
さらに、5月に避難所で撮影された、このシーン。うしろに映る時計は、午後5時20分を指していた。時計が正しいとすると、ここでもやはりズレは約8分。
バンキシャ!は、これらの検証結果から、及川さんが撮影した映像の時刻は、実際より約8分遅れていると仮定した。だとすると、この映像はどのような意味を持つのか。
専門家は、「引き波」が起きた時刻に着目。強烈な引き波が起きていたのは、映像に表示された午後3時23分頃ではなく、午後3時31分頃になる。これが、新たな仮説につながると指摘する。
これまでの分析では、津波の第1波は、動画が撮影された今朝磯漁港と、その隣の気仙沼湾、南三陸町に、ほぼ同時に到達。午後3時31分頃も、3つの地点ではともに「押し波」が続いていたと考えられていた。
しかし、この映像が出てきたことで、今朝磯漁港だけが同じ頃、強い引き波が始まっていた可能性が出てくるという。
桝キャスター
「同じような場所で、押しと引きのタイミングがズレるというのはあり得るのですか?」
今村教授
「今まではあまり考えられなかったです」
「三陸海岸のように湾が複雑にあると、隣同士の湾でもだいぶ津波の規模やタイミングが違う可能性があります」
入り組んだ地形では、津波がこれまでの想定とは違う動きをする可能性があるという。
では、30年以内に80%程度の確率で発生し、関東から九州の広い範囲に、巨大な津波が押し寄せるとされる南海トラフ巨大地震はどうなのか。(南海トラフ地震CG/内閣府提供)
防災対策を話し合う、国の検討会の委員も務める今村教授は…
今村教授
「南海トラフの地域もこの三陸と同様な地形を持っているので、事実、このような状況が発生する」
「命を最終的に守るためには、今回のような引き波であったり、かなり複雑な津波というのをしっかり予測してあげる。これによって対策を、あらゆるものを考えていく必要があると思います」
この及川さん撮影の映像が、将来の津波対策にいかせるという。
桝キャスター
「14年目で初めて出てきた映像ではありますが、未来の犠牲者を1人でも減らすための一歩になると考えていいでしょうか?」
今村教授
「今回の状況を正しく理解することによって、次への備え、新たな科学技術の発展が期待できます。きちんといかしていければと思います」
*3月9日放送『真相報道バンキシャ!』より
最終更新日:2025年3月10日 9:58