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【昭和100年 映像館⑥】戦争の足音・陸軍記念日 昭和4年

2024年6月17日 18:47
【昭和100年 映像館⑥】戦争の足音・陸軍記念日 昭和4年

昭和が誕生してから2025年で100年。欧米に追いつけ追い越せの激動の時代。そんな昭和の貴重な映像をご覧下さい。第6回目は、戦死者の「戦争の足音・陸軍記念日」です。

『勝った!勝った!また勝った!』昭和一桁生まれの方から教えて貰った言葉です。そんな言葉を口にしていた昭和の初め。盛大に陸軍記念日が行われていました。この『陸軍記念日』は、明治38年(1905年)3月10日、日露戦争の最中、奉天会戦で日本が勝利した事を記念して、翌明治39年に作られた祝日です。奉天とは、現在の中国東北部、遼寧省の省都・瀋陽です。ロシア軍約36万人と日本軍約26万人が激戦を繰り広げました。ロシア側の死傷者捕虜約9万人。日本側の死傷者は約7万5000人。大きな犠牲を出した戦争は、後に日露戦争を題材に小説や映画なども作られました。昭和の初期とは、欧米列強国に追いつこうと挙国一致で駆け抜ける時代でもありました。映像が撮影された2年後には、満州事変が起き、泥沼の15年戦争へと日本は突き進みます。

■映像説明
冒頭のタイトルの文字は、右から読む古い書き方で始まります。この頃の横書きは、書き出しが、右からと左からが入り乱れていたといいます。明治維新以降、欧米の文字が入ってくると日本語は、差別化をするために右から横書きをしたとも言われています。この映像のタイトルで注目すべきは、その文字の背景にドクロ模様です。今では、『反戦』の意味にも使われるドクロですが、昔は、『魔除け』や『決死』という意味があったそうです。タイトルが開けて、映し出されたのは、名古屋の栄交差点(広小路通と大津通)。背景に写っているのは、日本銀行名古屋支店とみられています。その前を横切るのは、民営のバス。運賃は、均一で10銭(市電6銭)。当時の郵便料金が、1銭5厘(はがき)からすると高価な乗り物だったようです。その後、広小路通を路面電車に乗って、撮影された映像だと見られています。昭和の初め、名古屋の広小路通や大津通は、銀行や商店が建ち並ぶ、メインストリートでした。とりわけ広小路通は、名古屋駅(現・笹島交差点付近)と栄を結ぶ通りで、今以上に賑わっていたといいます。続いて電車通りを俯瞰で撮影している映像は、空からまかれたビラを拾っている人たち。カメラは、上空の複葉機を写し、そこから陸軍記念日のお祝いのビラをまいたのではないかとみられています。その後、画面右から蒸気機関車が登場します。西側から現在の鶴舞公園を写したモノです。線路は、中央本線。この時には、JR鶴舞駅は、まだ設置されていません。昭和3年(1928年)に9月~12月に臨時で鶴舞公園駅が出来ます。その後、昭和12年(1937)に鶴間駅が設置されます。昭和4年のこの映像には駅らしきモノが写っていません。映像を見ると奥には、鶴舞公園の噴水塔が写っています。鶴舞公園は、明治42年(1909年)に名古屋市が設置した最初の公園です。噴水塔は、明治43年(1910年)、第10回関西府県連合共進会が開かれた時に造られました。その前を通るのは、第3師団の兵士たちや騎兵隊の一団。鶴舞公園に集結します。この頃の鶴舞公園は、博覧会など様々なイベントなどにも利用されていたようです。この陸軍記念日は、名古屋だけでなく各地で行われました。明治、大正、昭和と日本が列強の仲間入りを目指していた頃の貴重な記録です。

【参考資料】・新春名古屋市史 資料編近代3・国立国会図書館 アジア歴史資料センター・名古屋市交通局・資料-日本郵政

■撮影者紹介
名古屋出身の映像作家:横井湖南氏(1910年~1957年=明治43年~昭和32年)。昭和の初め、映像制作会社や映画協会設立に関わる。映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在。
【映像提供:横井克宜氏】

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