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元横綱・曙太郎さん死去 東海地方とも深いつながり きんさんぎんさんと親交も

2024年4月11日 20:01
元横綱・曙太郎さん死去 東海地方とも深いつながり きんさんぎんさんと親交も
第64代横綱・曙太郎さん

大相撲・元横綱の曙太郎さんが亡くなっていたことがわかりました。土俵を降りれば、名古屋のきんさんぎんさんと交流するなど、親しみやすい人柄で、この地方でも大人気の横綱でした。

幕内優勝は11回 大相撲ブームの中、初の海外出身横綱に

ハワイ出身の第64代横綱・曙太郎さんが11日、亡くなっていたことが分かりました。54歳でした。

曙さんは、1988年の春場所で初土俵を踏むと、その2年後には新入幕。巨体を生かした取り口で勝ち星を重ねるスタイルで、1993年の初場所後には外国出身力士として初の横綱に昇進しました。数々の名勝負を繰り広げ、2001年に現役引退。関係者によると、2017年に心不全で倒れ、闘病生活を送っていたということです。

幕内優勝は11回。そのうち2回は名古屋場所でした。当時は、若乃花・貴乃花の若貴兄弟に武蔵丸、そして曙と、4横綱が並び立ち、大相撲ブームのまっただ中。初日から13連勝をして賜杯を勝ち取った2000年の名古屋場所は、曙さんにとって19場所ぶりという長いブランクを経ての優勝でした。

「いい時があれば、つらい時はもう全部忘れた」

優勝を決めた際のインタビューで、こう語った曙さん。故郷ハワイから遠く離れた地で、懸命に取り組む姿を見せ続けてくれました。

1997年の名古屋場所の前後には、一日警察署長になってビラ配りをしながら、街の人と気さくに触れあう様子も。

1993年には三重県・鳥羽水族館でのイベントに登場。そこへ曙さんと一緒に登場したのは、名古屋のスーパー双子、きんさんぎんさんです。100歳の双子として人気だった二人は、横綱・曙の大ファン。結婚式にも駆けつけるなど、交流があったといいます。

そんな二人の応援も受け、務め上げた横綱。多くの人が、その相撲に魅了されていました。

行きつけの飲食店には今でも手形とサインが…

11日、今年7月に開催される名古屋場所の準備状況を報告するため、大村知事を表敬訪問していた出羽海親方。横綱時代の曙さんとの取り組みを思い出し、長い手足を生かした相撲に全く歯が立たなかったと話しました。

出羽海昭和親方:
「気遣いをしてくれる優しい力士でした。こんなに早く亡くなると思わず、びっくりしておりますが、心からご冥福をお祈りしております」

曙さんとこの地方とのゆかりは他にもありました。名古屋場所開催時に足繁く通っていたという、うどん屋「かど八」。宿舎が近く、仲間の力士とよく訪れていたと言います。

曙さんに飲みに連れていってもらったこともあるという「かど八」の小森初美さんによると、曙さんはいつもランチタイムが落ち着いた午後1時半ごろに訪れ、暑いときにつるっと入るざるそばの特大大盛りサイズを食べていたと言います。店にはお気に入りの席もあり、体が大きいので椅子を2つ寄せて座っていたそうです。

かど八・小森初美さん:
「入院しているという話も聞いていたので、大丈夫かなとは思っていたんですけど、いつか退院されるときがくるかなって待ってました。残念です」

いつも笑顔でスタッフに挨拶をしてくれたという曙さん。店内の壁には曙さんの大きな手形とサインが今でも飾られています。

語り継がれる数々の曙伝説 元ライバルが追悼コメント

曙さんが残した数々の伝説を、改めて振り返ってみましょう。

1993年7月の名古屋場所、空前の若貴人気の中での優勝決定戦。横綱・曙、大関・貴ノ花、関脇・若ノ花という同期入門の3人が13勝2敗で並び、「巴戦」で優勝争いになりましたが、横綱の意地を見せた曙が2人に圧勝。4度目の優勝を飾りました。

伝説はまだまだあります。2003年11月、34歳のときに突然、相撲協会を離れ、格闘技への転向を発表しました。再び戦いの道を選択し、総合格闘技などの試合に出場。プロレスラーとしても活躍しました。

伝説はプライベートでも。東京都内のホテルで行われた結婚式の招待客は約1300人。さらに、当時のクリントン大統領の祝電が披露されるという、スケールも桁違いな結婚式でした。まさに伝説です。

そんな曙さんのライバルでもあった、元横綱・若乃花でタレントの花田虎上さんがブログを更新し、曙さんへの思いをコメントしました。

元横綱・若乃花 花田虎上さんコメント:
「お互い協会から離れてがんばってきたけど、離れていてもいつも心にいました。切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分、愛情が深く言葉では言い表せないものがあります。歳を取ったらハワイの木の下で、同期生みんなで会おうと話していた。その約束も果たせず、ただただ寂しいです」

54歳の生涯に幕を閉じた曙さん。強く優しく明るく、常に挑戦を続ける偉大な姿は、いつまでも私たちの記憶に残り続けるでしょう。

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