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「娘の服で間違いないなと…」安否不明の中学生か…遺体の衣服に「喜三」の文字

2024年10月1日 20:37
「娘の服で間違いないなと…」安否不明の中学生か…遺体の衣服に「喜三」の文字

10月1日で奥能登豪雨から10日がたちました。9月30日には、福井港から西に40キロの沖合で女性の遺体が見つかりました。身につけていたジャージーに書かれていたのは、安否不明となっていた中学3年生、14歳の喜三翼音さんの名字「喜三」の文字でした。

10日間、娘を捜し続けました。

喜三翼音さんの父(10月1日)
「一日一日、見つかってほしいという思いでなんとかいました。一生懸命、捜索している方々を信じて、絶対見つけてくれるだろうと、そういう思いで過ごしていました。ちょっと怒りっぽいとこもあったけど、本当に素直で優しい子だったと思います」

中学3年生、14歳の喜三翼音さん。自宅にいたところ、川に流されたとみられています。

福井港から西に40キロの沖合で見つかった、女性の遺体。身につけていたジャージーには、手書きで「喜三」と書かれていました。

喜三翼音さんの祖父(1日)
「多分その日、衣服(ジャージー)を着ていたと思う。最後に息子(翼音さんの父)が『パジャマのままだと寒いから、上からジャージーをはけ、長袖を着なさい』と言った。その格好をちゃんと守って、ジャージーと長袖の服を着ていたらしい」

一家が住んでいた自宅の前を流れる塚田川が氾濫した時、翼音さんは1人で2階にいたとみられます。その後、自宅は濁流にのみ込まれ、残ったのは土台だけ。自宅から河口までは約1キロ。川沿いを中心に、翼音さんの懸命な捜索が続けられてきました。

喜三翼音さんの祖父
「1日1日たつごとに、3日たち、5日たち、1週間たち。捜索はいつまで続けてもらえるのかという不安の中、なんとか過ごしてきたんですけども、ただただはやく見つけてほしいという願いだけで精いっぱいでした。私たちの命よりも大事です。本当に」

家族の元に連絡があったのは、1日朝のことでした。

喜三翼音さんの祖父
「(海上保安庁から)福井の方で女性のご遺体があがった。うちの孫の翼音によく似てると。はいていたジャージーに『喜三』の名前があったと」

自宅から約170キロ離れた海上で見つかった、女性の遺体。

翼音さんの祖父
「『喜三』っていう漢字の名前は、なかなかない字なので。着ている衣服も、その日着ていた衣服を着ていたと思う。半分良かったかな、半分は違う方であってほしい。半分半分の気持ち。どこかで生きているんじゃないか、その希望は捨てていませんでした」

午後3時半、衣服の写真などを確認するため、警察署を訪れた翼音さんの両親。30分ほどで警察署をあとにしました。

喜三翼音さんの父(1日午後4時半すぎ)
「DNA鑑定をしていただきたいということで、それの摂取と、まだ本人か確定ではないけれど、着ていた衣服の確認をしてほしいということで、輪島警察署に行ってきました。娘の服で間違いないなと思いました。よく見つかったなと。僕の言うことは、あまり聞かなかったですけど、でも最後に僕が電話で『長袖・長ズボン着てくれ』と言ったのを、守ってくれていたみたいで、ちゃんと長袖・長ズボン着ていました。僕の言うこと聞いてくれたんだと思いました」

「思春期ということもあったと思います。しゃべる時はしゃべるけど、ご飯食べてすぐ2階に行く感じ。仕方ないかなと。でも学校迎えに行って、家着くまでの車の中ではよくしゃべってくれました。まだ本当に顔とかは確認していないけど、とりあえず顔を見て、おかえりと言いたいし、ゆっくり休んでほしいと思います」

「今まで捜索してくださった警察、消防、自衛隊、海上保安庁、地元の漁師さんには、この場を借りてお礼を言いたいです。本当にありがとうございました」

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遺体は、2日に司法解剖が行われ、身元の特定が進められます。