帰省中の地震「元日は卑怯ですよ」 亡くなった9歳息子…顔のアザは“頑張った証し”
■妻子が逃げ込んだコタツごと… 「まずいことになった」
金沢市の会社員・角田貴仁さん(47)は、帰省していた珠洲市の実家で妻・裕美さん(43)と長男・啓徳(あきのり)さん(9)を亡くした。
貴仁さんの両親と正月料理を囲んで過ごした、家族水入らずの時間。 「あと10~20分したら出発しようとしていた」と、それぞれが帰宅の準備をしていた午後4時すぎ、突然揺れが襲った。
ガタガタと音をたてて揺れる木造平屋の建物。地震があると、いつも最初に声をあげる妻子の声は聞こえなかった。直後には、天井が落ちてきて……。建物から這い出た貴仁さんが呼びかけても、声はかえってこなかった。
すると、崩れた建物の逆側から、何か叩くような音がした。「ガン、ガン、ガン」。居間のあたりだろうか。 隙間から覗くと、2人が隠れたコタツごと建物の梁に押しつぶされているのが見えた。「まずいことになった」。
ガレキから音を鳴らしたのは、9歳の息子・啓徳さんだった。貴仁さんによると、「こんなに力があるのかと思うくらい、手首で力強く叩き続けていた」という。
角田貴仁さん
「ちょうど下敷きになっていた時は、(息子が)妻の方を見ていたので…。たぶん息子は『母親を助けろ』って言っていたと思います」
音のする場所に近づくと、ガレキを叩く音は止まった。声もなく、母親と自分の場所を知らせるために頑張り続けた息子。
貴仁さんは「本当に…。本当に立派な息子だった」と、この時の“音”を一生胸に生きていくと話した。ただ、「元日は卑怯ですよ…」。この先、正月を祝うことはないという。
■チェーンソーを借りて 口にくわえたスマホの照明を頼りに
すでに息のない2人を、建物から助け出せたのは、1日の夜になってからだった。暗闇を照らしたのは、口にくわえたスマホの明かり。ケースには、その痕が残った。
ノコギリでは歯が立たず、貴仁さんは近所の人からチェーンソーを借りて、梁を切断した。その夜は、自宅横の草むらに敷いたブルーシートに2人を寝かせ、一緒に過ごした。
2人の遺体を仮の安置所に運ぶことができたのは、それから2日後。今月10日になってようやく、金沢の斎場に搬送できたため、貴仁さんはようやく葬儀や火葬などに向けて、動き始めることができた。
遺体が見つかっても、遺族が弔うことができなかった理由。それは、現地で火葬場が被災してしまったためだ。石川県によると、被害の大きかった奥能登(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町)では、8基あった火葬炉のうち7基が地震で損壊した。
この“緊急事態”に、県内の葬儀業者などは県との協定に基づき、奥能登以外の自治体に遺体を搬送することに。寸断した道路や、被災地に向かう車の大渋滞…。遺体は時間の経過とともに傷むため、搬送は急を要した。
葬儀会社のスタッフは、早朝に金沢市を出発し、現地で遺体安置所を回ると、戻るのが日付けを越えることも。それでも「少しでも家族の“最後の別れ”を守れるように」。
搬送待ちの遺体は輪島市だけで、多いときに40~50体ほどあったというが、17日をめどになくなる見込みだという。
妻・裕美さんと息子・啓徳さんの遺体を金沢市の斎場に連れてくることができた角田貴仁さんは「ほっとしてます、すごく」と漏らした。
「(息子と妻は)最後まで頑張った。ちゃんと送ってやりたいと思います」とする貴仁さんに、福井から応援で訪れた納棺師・浅野智美さんが「奥様と息子さん、気になるところはありますか?」と声をかけた。
貴仁さんは「特別にはないです」と応えた後、こう続けた。
妻と子を亡くした角田貴仁さん
「息子の顔が黄色いアザになっている。それを…“そのまま”にしてもらってもいいですか?」
「息子が頑張った証しなので。とりあえずはこのままで、自然な感じで」
家屋の倒壊でできた顔のアザは、9歳の息子が頑張った証し…。貴仁さんは、“誇らしい”とする息子の顔を、なるべくそのままにして見送ろうとしている。納棺師・浅野さんは、状態の悪化を防ぐための、最低限の化粧だけを施した。