子どもの欲求、つぶしてませんか? 親子の“対話”…互いを認め合う時間を
大人は心配のあまり、子どもに「あれをしなさい」「これをするな」と言うのが常。しかし、これを言われ過ぎると、子どもは自分が何をしたいかわからなくなる。子どもが本来持っている4つの欲求とそれを伸ばす対話とは?教育学と哲学が専門の熊本大学苫野一徳准教授に聞いた。
■あれをしろ、これをするなと言われ続けた子は…
民主主義社会とは、自分たちの社会を自分たちで作ることですよね。そのためには私達自身が子どもの時から自分たちの意見を通じて、社会、学校を作っていく経験を積まないと、民主主義社会は簡単に崩れ去ってしまうんですよね。
では、自律して意見を言えるようになるにはどうすればいいのか? 今、多くの子供たちがとにかく「あれしなさい」「これするな」と一方的な指示に従わされる状況があります。意見を言っても「もういいから、これに従っておきなさい」と。そういう中で成長していくと、子どもたちは一体自分は何をしたいんだっけ? とか、どんなふうに生きていけば幸せなんだろうとかそういうこともわからなくなる。
ジャン・ジャック・ルソーという250年前の教育思想家の言葉なんですけど、「あれしなさい、これしなさい」と言われてばかりだと、子どもたちはそのうち「息をしなさい」と言われないと呼吸さえしなくなる、と。本当にそうだなと思いますね。自律的に自由に幸せに生きられる子に育てたいなら、「あなたは何を考えているの? どんなことを感じているか聞かせて」と対話を通じてお互いを尊重するのが基本的な姿勢じゃないかと思いますね。すると、自律する上に他者を尊重できるようになります。
対話では、子どもが言うことを鵜呑みにするのではない。親と子ども、どちらかが勝つ、従うではなく「私はこう考える」と伝え、「あなたはどう?」と対話していくことを意識するのが大事だなと思います。
■大人時間に従わされる子ども
子どもたちは「大人時間」「学校時間」に従わされていると思うんですね。時間割が決められ、帰ってきても習い事が決められている。子どものためというより、大人の都合や学校というシステムの都合ですよね、「はい、これやめて、次これやりましょう」と言われ続けていると、自分で時間をどう使うか、何したいかわからなくなってしまいますよね。なので、指示、命令、指導で子どもをコントロールしようとするんじゃなく「あなたはどうしたい?」と、まずは子どもに「聞く姿勢」をちょっと意識するだけで子どもたちが自分時間を取り戻せると思うんですね。
■豊かな子ども時間を
豊かな子供時間って本当に必要なんですよね。大人の干渉、規制から逃れた子どもは一見「無為」に過ごしているように見えるが、いろんなことが頭の中で回って、体を動かしてこそ、この世界を探索できるわけです。そういう子どもの時間ってとても大事で、「こんな無駄な時間じゃなくて、今は勉強や習い事をさせなきゃ」と私達は思ってしまうけど、子どもが夢中になっているものをまず大事にしたい。
例えばゲームや動画などに「依存」したらどうするのかと言われますが、何かに依存するのは、苦痛を緩和するためであって、没頭して楽しんでるわけじゃないといいますよね。孤独とか自己肯定感が低いとか。逆に言うと、豊かな子ども時間があり、尊重される中で育って共に探求する仲間がいると依存症には原則的になりにくい。信頼、承認されて育った子でゲームにずっと依存するって、あくまで私の経験ですが出会ったことがないですね。ゲームが大好きな子が依存というのではなくて、本当にそれを探求、追求しているというケースはありましたけれども。
■ルールをどう作る?
ゲームや動画を見る時間など家庭内などのルールに関してですけど、子どもと相談し一緒に決める。それで決めたら、それが絶対ではなくて、ちょっとずつ運用しながらいい塩梅(あんばい)を考えていく。ルールは一方的に与えられると「どうやってごまかそうか、うまく破ってやろう」と考えるが、自分も一緒に決めたら責任を持って守ろうと思うようになりますよ。
■子どもの本能的欲求とは
デューイという20世紀の哲学者、教育学者が「子どもには4つの本能的欲求がある」と言っています。それは知りたい、作りたい、コミュニケーションしたい、そして自己表現の欲求「こんなの作ったよ、見て見て」というような。ところが、これが大人あるいは学校などによって抑えられちゃっているところがあるんじゃないの、とデューイは言っている。
例えば「これ、知りたい」と言っても、「今はそんな時間じゃありません、座って教科書を開きなさい」と言う。何か物を作っていると「何を勝手なことしてるんだ」とやめさせるとか。本来はこれらの本能的欲求を最も大事にした学びが求められるはずですけど、私達が欲求をつぶしちゃってないだろうかと自覚するのが、まずは、大事かなと思います。
その上で何ができるかというと、まずは「遊びの時間」を大事にする。2つ目は、子どもが伸ばしているアンテナに引っかかるように面白いものを紹介する。ただし強制せず「引っかからなかったらそれでもいいや」ぐらいの感じで。「大人時間」で子どもを動かすと、子どもが自分でアンテナを伸ばす時間がなくなってしまう。そして3つめは、子どもが興味を持った事柄で本物との出会いの機会を考える。世界一のスケボー選手とか、恐竜に詳しい本物の科学者とか。ただ、これもやりすぎに注意ですよね。
■友情とは? 恋とは? …言葉を編んでいく対話
私は哲学者だから「本質観取」というものを実践しています。これは、友情とは? 恋とは? とか、よく生きるってどういうことだろう、など、テーマを決めて、どんどん思いつくことを語り合って、できるだけみんなが納得できるような形で、言葉にして編み上げていく、そういう対話です。
実は、月に何回もいろんな学校やオンラインでやっているんですけど最高に楽しいんですよ。子どもの対話力、思考力とか、もう絶対馬鹿にしちゃいけない、すごいねこんなこと考えてるんだって、子どもたちへのリスペクトを新たにするんです。子どもたちも「学校の勉強は、答えが決まっていて、それにたどり着かなきゃいけない、何か自分が試されているようだ。でも、これは楽しい」と言ってくれる。
私の子どもたちもこれが大好きなので、寝る前に10分とか15分程度ですけど、かわいいとは何かとか話しています。幼稚園生ぐらいからでもできますよ。例えば「友達と仲が良いってどういうことかな? あの子とけんかして、もう遊ばないみたいになったけど」「何で勉強しなきゃいけないの?」「最近学校で、お互いに信頼しろって言われるけど、信頼ってそもそもなんだろう」とか。できれば子どもがお題を自然に出すのがいい。子どもは結構いろんなこと、気になっているので。そして話してみると、びっくりしますよ。「こんなこと考えていたのか」と。
子どもの疑問に親はすぐ答えたくなるが、ちょっと一緒に考えてみようか、みたいな感じがいいと思うんですね。何回かやっていくと、本当に子どもの言語力や思考力や対応力が育まれるんです。ですけど「さあ、これを通して子どもたちを賢くしてやる」とか思わない方がよくて、あくまでも楽しむってことで。さっき子どもは物を作るのが好きだっていう話をしましたけど、新しいものを何か作っている感じがして、すごく楽しいんですよね。
■ある学校で「勉強」と「学び」を話してみたら…
先日、ある学校でやったのですが、「勉強」と「学び」は違うよね、みたいな話になって、勉強はやらされている感じがあるけど、学びは「自らのもの」という感じがするって。最終的に子どもたちだけで導き出した答えが、本当にすごくて「学びとは自らの問いと気づきを通して、生活が豊かになっていく営み」だったんです。生活が豊かになっていくのが学びだと。
しかも、何が素敵だったかって、学校の勉強ってやらされていて、なんか嫌な気分だけど、自ら「気づき」を意識すれば、学校の勉強が学びになるよねとか言い出すんですよね。そして、これを続けると「あれ、自分の今まで考えていたことってちょっと独りよがりだったかな」と気付いたり、自分のことがよく理解できたり、友達の新たな一面が見えたりします。
■忙しい中だからこそ
この忙しい時代に、子どもと対話する時間なんかないよ、と言われますが、実は逆なんです。学校、家庭でも対話をする時間を持てば、例えば30分でも話して、皆が納得、了解する考えが見い出されたとしたら、その後はいつもそこに立ち返ればいい。何か困った問題があったら、あのとき一緒にみんなで見つけ出した答えなんだったっけ、私達の学校は何を一番大事にするんだっけ、と戻れる。ここをしっかりと確認しておけば、表面的なことで時間をとられずに済むんです。
■殺し合いや従属は嫌だ…だったらどうする?
私達が暮らしている民主主義の社会は、一言で言えば「自由の相互承認」の原理に基づく社会なんですね。お互いを対等に自由な存在として認め合うという。人類の1万年以上に及ぶ、殺し合っていた歴史からわずか二、三世紀前にこういうアイデアになったわけですね。
ずっと戦いになるか、誰かに支配されるか、これが本当に嬉しいことかなあ…と、子どもたちと話し合っていくと、「どっちも嫌だ」と。だったらお互いを尊重してみんなが納得できる、例えばおもちゃのルールだったりとか、みんなが納得できるような形でこの保育園を作っていく方がいいよね、と考える。子どもはそういう力を持ってるんですよね。
■大人も「あなたはそのままでOK」と認めてもらう経験を
私達が他者のことを尊重し、認めるためには、自分もまた人から認められ、自分で自分のことを承認することが必要なんです。そうじゃないと、いつも不安に怯えるので、人を認めるどころか、攻撃的になる。「あなたはそのままでOKだよ」と認めて、受け入れてもらう経験、意見をちゃんと聴いてもらう経験をたっぷり積んでいることが必要ですよね。でも、大人の側もそれがないんですよ。だから私は、子どもも大人も「認めてもらう」経験、お互いを尊重し合う対話の場をこの国に散りばめていくしかないと思います。地道なんですけどね。
今は相互不信のスパイラルなんですよね。これを逆回転させたいとすごく思います。自分の存在が認められる対話の場作り、本当ここに尽きるかなって。そういう経験が大人になってからでもあれば、いつだってやり直せると思っています。