【戦後80年】キノコ雲の上と下~米兵の心に苦悩を刻んだヒロシマ~(ショート動画)
生後8か月で被爆し、家族の体験を語り継ぐ女性がいます。
「憎むべきは戦争を起こす心の悪。」
原爆を落としたアメリカ兵との出会いで憎しみを乗り越えた被爆者が訴えるメッセージです。
被爆者の近藤紘子さん。
■近藤紘子さん
「その時突然家が潰れた」
牧師の娘として生まれた近藤さんは当時生後8か月。
爆心地から1.1キロの地点で建物の下敷きになったが、一命を取り止めた。
近藤さんは戦後、教会に集まった人々のケロイドを目の当たりにし、憎しみを募らせた。
■近藤紘子さん
「あの人たちさえ落とさなければ。絶対見つけ出して パンチするか 噛み付くか蹴飛ばすか 絶対にして敵を討つ」
被爆者の支援をよびかけるため、アメリカの番組に家族で出演した。
そこで対面したのが、原爆を落とした「エノラ・ゲイ」の副操縦士、ロバート・ルイスだった。
■近藤紘子さん
「ずっと思ってた敵を、やっつけようと思った1人が目の前にいる!だからそのおじさんをずっと睨みつけていた」
ところが、目にしたのは思いもよらぬ姿だった。
■ロバート・ルイス
「後に飛行日誌に記しました。私たちはいったい何てことをしたのか」
日誌に記した言葉。”私たちはいったい何てことをしたのか”
■近藤紘子さん
「それを言ったあと彼の目から涙がこぼれ落ちるのをしかと見た。私が憎むべきは飛行機に乗っていた人キャプテン・ルイスではない。私が憎むべきは戦争を起こす人間の心の中の悪。それは今でも彼に本当に感謝している私を変えてくれた」
キノコ雲の上で何を感じていたのか。私たちは搭乗員たちの音声と手記を独自に入手した。
極秘裏に進められた任務。彼らは、10か月間にわたる厳しい訓練を積んだ。そうして選ばれた、12人の兵士。
原子爆弾「リトルボーイ」を積んだエノラ・ゲイは8月6日未明。太平洋のテニアン島を飛び立った。
ルイスが当日、機内に持ち込んだ日誌。
■ルイスの日誌
「午前2時45分。時間通りに出発」
「午前7時半。爆弾の準備が整ったさあみんな、もうまもなくだ。」
「(爆撃手の)トム・フィアビ―は目標に照準を合わせ、投下した。次の1分間、誰も何が起こるか分からなかった」
「爆撃手とパイロットは強烈な閃光を目撃した」
■ルイスの音声
「オゾンの味がした。それは空気中の放電で私をすぐに突き抜けて、とても嫌な味がした。
目の前にあった川の支流や橋、路面電車がはっきりと見えた街は、もう見えなくなっていた」
■近藤紘子さんON
「家が一瞬にして潰れた。母はまず私を外に急いで出して、そして母が外に出たらもう火が付き始めていた家に。隣の家も何もそこら辺がずっと燃えていた」
■ルイス日誌
「いったい、何人の日本人を殺したのだろう?私たちは何てことをしたのだろうか」
「私が100歳まで生きたとしても、この数分間が頭から消えることはないだろう」
ルイスは戦後、5人のこどもをもうけ、家族と共に過ごした。
彼の人生を辿る中で、私たちは1枚の写真を独自に入手した。
キノコ雲の彫刻をするルイス。原爆投下の苦悩が消えることはなかった。
台座に向かって流れるのは、原爆による人間の血…。
タイトルは「広島に神風?」大きく付けた疑問符に葛藤の思いを込めた。原爆は「神の風」か「地獄の風」か…。
被爆者の近藤紘子さん。大学進学とともにアメリカで生活し、日本に戻ってきた後、証言活動を続けている。
決まって伝えるのは、憎しみを許しに変えた、ロバート・ルイスとの出会い。
■近藤紘子さん
「私はじっと彼を見つめていた。そうすると、彼の目から涙がこぼれ落ちるのを見た。その瞬間、私はこの人を憎んではいけない。憎むべきは戦争そのものなのだと分かった。もう二度と過ちは繰り返さない」
ルイスとの出会いを胸に訴え続ける。過ちは繰り返してはいけない。私たちは、同じ人間なのだから。
■近藤紘子さん
「どこから来ましたか?」
■観光客
「パリです」
■近藤紘子さん
「私は広島の被爆者です。この街で起きたことを忘れないでください。私たちの手で、この世界を平和な世界にしていきましょう!」
■観光客
「是非、そうしましょう」