「無念な思いを忘れないように」 あれから79年・徳島大空襲を語り継ぐつどい【徳島】
約1000人が犠牲となった徳島大空襲から79年の7月4日、悲惨な空襲体験を後世に語り継ぐつどいが、徳島市で開かれました。
「黙とう」
これは、風化が懸念される空襲体験を語り継ごうと、「反核・憲法フォーラム徳島」が毎年開いているものです。
徳島市で開かれたつどいには、約60人が参加しました。
語り部を務めたのは石井町の岸 積さん90歳。
1945年7月4日未明「徳島大空襲」で、当時11歳だった岸さんは、生家のあった徳島市中洲町から転がる死体を超え、降りそそぐ焼夷弾の中を逃げ延びました。
目の前で次々と人が亡くなっていった光景から、故郷がある日急に戦場に変わったと話しました。
( 11歳の時徳島大空襲を経験・岸積さん)
「死んでいった忘れられない人たちの無念な思いを忘れないように、次の世代にどんどんどんどん伝えていって死んでいこうと、それが生きこった僕らの役目だから」
「黙とう」
これは、風化が懸念される空襲体験を語り継ごうと、「反核・憲法フォーラム徳島」が毎年開いているものです。
徳島市で開かれたつどいには、約60人が参加しました。
語り部を務めたのは石井町の岸 積さん90歳。
1945年7月4日未明「徳島大空襲」で、当時11歳だった岸さんは、生家のあった徳島市中洲町から転がる死体を超え、降りそそぐ焼夷弾の中を逃げ延びました。
目の前で次々と人が亡くなっていった光景から、故郷がある日急に戦場に変わったと話しました。
( 11歳の時徳島大空襲を経験・岸積さん)
「死んでいった忘れられない人たちの無念な思いを忘れないように、次の世代にどんどんどんどん伝えていって死んでいこうと、それが生きこった僕らの役目だから」