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ノーベル平和賞受賞 被団協メンバー 富山で核兵器廃絶訴え

2025年2月28日 21:22
ノーベル平和賞受賞 被団協メンバー 富山で核兵器廃絶訴え

去年、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会のメンバーが、きのう富山を訪れ、授賞式の様子を報告しました。

今年は戦後80年、被爆者たちは核兵器廃絶への取り組みをさらに広げていく決意を新たにしていました。

ノーベル平和賞報告

「ノーモアヒロシマ!ノーモアナガサキ!」「ずーと後ろまで続いているでしょう? 約1000名のオスロの市民が一緒に歩いた、たいまつ行進です」

昨夜、県民会館で行われたノーベル平和賞授賞式の報告会。

横断幕の向かって右端でコールしていたのは、日本被団協、被爆二世委員会の大村義則副会長です。

【大村さん】「晩さん会をやっているグランドホテルに3人の被団協の役員が出迎えて一緒にコールをすると」

大村さんは、被団協がノーベル平和賞を受賞した意義について、被爆者自らが草の根で訴えてきた功績だけではないと指摘します。

「核兵器が我々人類を滅ぼすかもしれない 現在危機的にそれが迫っている だからこそ被団協に贈るんだと」

オスロ市では、被団協のシンボルである折り鶴が市内の各所に掲げられ、市民から祝福されて、「日本」が平和賞を受賞したようだったと話します。

しかし、世界で唯一の戦争被爆国である日本は、国際条約である核兵器禁止条約を批准していません。

また、政府は、来月アメリカで開かれる核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加を見送りました。

【大村さん】「世界が見ている日本、平和賞を贈られるような国だというふうに見ている日本と、その国の政府は一体何だと」

被爆者たちの訴え、そして次世代へ

生後9か月でヒロシマで被爆した日本被団協の金本弘代表理事は、怒りを抑えきれません。

【金本さん】「被爆者はね最後の80年、被爆80年、戦争80年と言ってるのに、国が動かないなんてね、ありえます?」

金本さんは80年前の8月6日、15歳の姉と広島市の己斐駅で被爆しました。

「(姉は)電車を見せてやろうと思って駅舎の外に出て、私を下ろした瞬間にピカ、ドカンとやられたらしいです」

真っ赤になり瀕死の状態だった金本さんは、父親と思われる男性に助けられたといいます。

その時の広島の街はー。

「これ垂れ下がっているのは皮膚なんですね 1人2人じゃないですよね」「電車の中の人たちはみんな数千度で焼かれるとみんな立ったまま黒焦げになってる 広島は川が多い 水が欲しい。入ったらショック死ですよね。ショックでみんな死んでしまう」「私が生きた(平和な)80年間を今の若い人たちになんとか保障してやりたい そういう運動を続けていきたいというふうに今思っている」

オスロ市で被爆者たちは、核兵器廃絶を世界に訴えようと、市民や学生に体験を語りました。

しかしー。

【大村さん】「まだまだ本当に知られていない。だから簡単に核のボタンを押すという話が出てくるんだなと まだ伝えきれてないんだなと実感をする」

日本被団協のメンバーたちは、きのう、ノーベル平和賞の受賞をきっかけに県議会に招かれ、講演しました。

【金本さん】「議員の方に証言を聞いてもらうことができたっていうのは、私にとってはこれからの証言活動にも背中を押されたというか、勇気を持って表現できると、やっぱり証言を広げることが一番大事なんだなって」

また、富山県被爆者協議会の小島貴雄会長も参加し、おととし100歳で亡くなった父、六雄さんが、海上挺身戦隊「マルレ」の特攻兵として広島で被爆した経験を語りました。

昨夜の報告会にはおよそ70人が参加しました。

小島さんを含め、被爆者、被爆二世たちへの講演依頼が増えているといいます。

【金本さん】「被爆者とか被爆者の運動を理解してくれる人たちは日本にまだたくさんいるんだっていうことが嬉しい それが分かっただけでも確かにノーベル賞はよかったのかもしれない」

戦後80年の今年、金本さんたちは批准に向けてさらに運動を広げていきたいと話していました。

最終更新日:2025年2月28日 21:22
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