復興の願い太鼓に込めて 百万石まつりの空に響いた能登の魂
その中には元日の地震で大きな被害が出た奥能登から参加した人たちもいました。
その思いに迫ります。
和太鼓の大合奏で幕を開けた金沢百万石まつり。
100人を超える奏者の中には唯一、能登から参加した人がいます。
輪島市に住むプロ和太鼓奏者今井 昴さんです。
父親の勧めで和太鼓を始めたのは小学3年生の時。
その後、プロの奏者となり、世界各国で公演を行うなど、活躍していましたが、元日の地震で生活は一変しました。
今井 昴 さん:
「とにかく1日1日生きようみたいな。あんまり(今後のことを)考えられなかったかも」
家は傾き、停電や断水の影響でおよそ4か月間、避難所生活を送った今井さん。
太鼓に触れられない日々が続きましたが、廃校になった地元の小学校の体育館を借りて練習に励んでいました。
ただ、今もなお練習が再開できていない仲間もいるといいます。
今井さん:
「太鼓を続けたいとか、文化をずっと守っていきたいと思っている熱い人たちばっかり」
「僕も私も頑張ろうと思ってもらえるような演奏にしたいです」
そして迎えた百万石行列本番。
「おはようございます。きょうはよろしくお願いします」
天気にも恵まれました。
今井さんは大合奏を行うメンバーの一人として、朝から準備に奔走。
今井さん:
「暑いやろな皆。ありがたいね本当に」
観客:
「太鼓が見たくて」
「これ生で見たいよね。音の迫力とかありそう」
今井さんが叩くのは大太鼓。
出発式の始まりを告げる合図を打ち鳴らします。
今井さん:
「もうちょっとで本番が始まるというので、僕はワクワクしています」
「僕の音も皆の音も届けと思って一撃一撃頑張って打ちたい」
衣装に着替え、本番の時間まであとわずか。
沿道には大勢の観衆が集まっていました。
熱い思いを届けるその時がやってきました。
15分の演奏で今出せるすべてを出し切りました。
今井さん:
「夢のような時間でした。(地震で)色んな人に会ったり別れたりしましたけど、最終的にこうやって集まれて色んな思いで太鼓叩くことができました。ありがとうございました」
一方、金沢城公園でも金沢と能登をつなぐ催しが。
披露されていたのは、輪島市の御陣乗太鼓です。
そして会場には「能登応援コーナー」として、海産物や輪島塗などの販売ブースが設けられていました。
購入者:
「地震のこともあって輪島ちょっとでも応援できたらなというのもあって良かった」
さらに、能登の祭りに欠かせない「キリコ」も展示されていました。
このキリコが保管されていたのは、「輪島キリコ会館」
元日の地震で、館内にあったおよそ30基のキリコはほとんどが倒れたりして修復が必要な状態になりました。
輪島キリコ会館・大下 慎司 さん:
「こうなっていく様を2階の方向から見てまして、崩れていくのを。」
「つかまって立ってるのも精一杯だったので見てるしかなかったですね」
無傷で残っていたキリコはわずか3基。
被災したキリコは修復の目処が立っていません。
こうした中、百万石まつりの実行委員会から輪島市に、「キリコを展示したい」という依頼がありました。
大下さん:
「復興のきっかけというか、希望の灯りになればという思いはある」
「能登のシンボルみたいなものですからね」
展示されることになったのは、全体に輪島塗が施されたキリコ。
搬出と組み立てを担当する職員たちも 気合いが入ります。
輪島から金沢まで。
100キロ余りの距離を慎重に運んでいきます。
出発からおよそ3時間後。
金沢城公園に到着し、早速、組み立てが始まりました。
「行きますよ、せーの!」
そして翌日。
キリコの周りには多くの人が集まっていました。
子ども:
「大きくて色もきれいですごいかっこいい」
祭りで使われる太鼓の体験も行われました。
訪れた人:
「嬉しいですね。石川が一体になった感じがあって」
「地震で無事やったんやなって」
輪島市観光課・ 橘 博章さん:
「すごい大盛況で参加させてもらって良かった」
「石川県一丸となって観光面でも今後復興もだけど盛り上げていけたら」
大盛況のうちに終わったことしの金沢百万石まつり。
能登とのつながりを深め、復旧・復興の思いを込めた特別な催しとなりました。