【東日本大震災】紙芝居で伝承する大学生が母校で教育実習「被災者じゃなくても語り部になれる」
「地震があったのは通学路、小学校をすぐ出たあたり」
七ヶ浜町の大学生紀野国七海さん。
13年前は小学2年生だった。
地震が起こった後は学校の校庭に避難した。
「自分を安心させるためでもあると思うんですけど、大丈夫だよみたいなしゃがんでいれば大丈夫だよみたいな感じの言葉を友達にかけてた気がする」
あの日、津波は見なかった。自宅も被害を受けておらず、家族全員も無事だった。
それでも。
震災を伝えていきたいと考えている。
七海さんが中学時代の同級生と一緒に続けてきた活動がある。
七海さん
「紙芝居を披露する防災・減災意識が身についてもらえればという思いで来ました。」
小さな子どもたちにも防災の大切さを伝えたいと紙芝居を作った。
紙芝居
「みゆうとゆうみ。津波と家族の話。」
主人公は津波で母と祖母を亡くした双子の姉妹。
紙芝居
「振り返ると家がどんどん流されているのが見えました」
七海さんたちの活動の原点は中学時代の震災学習。
七海さん
「私たち子どもの影で頑張ってる人たちがいたり、津波・地震で命を絶たれてしまった方もいる自分が知らない状況を知ることができた震災学習が衝撃的だった。」
周りを海に囲まれた七ヶ浜町。
震災の津波で94人が犠牲となったほか全壊した住宅は700棟近くに上った。
しかし、七海さんは小学生の頃はその被害の大きさをよく理解できていなかったという。
中学校になって経験した震災学習。被災した住民から震災のストレスで耳が聞こえなくなったという体験談を自ら聞き取った。
さらに生徒同士で体験を伝えあった際、岩手県から引っ越してきた双子の姉妹が実は津波で家族を亡くしていたことを知り衝撃を受けた。
その姉妹も含めみんなで作った紙芝居。
語り部として震災を伝えていく姿を描いた。
紙芝居
「皆さんに伝えたいことがあります。誰かを失った時、後悔してももう遅いです。自分の家族は一つしかありません。伝えたいことがあればその時に伝えてください。一分一秒を大切にしてください。」
「行ってきます!」
いま七海さんはある目標に向かって歩みだしています。
「松ケ浜小学校に来てから」
「新しい友だち出来ましたか」
去年11月、教育実習で母校の教壇に立つ七海さんの姿があった。
大学卒業後は小学校の先生となり子どもたちに自分たちが生まれる前に起きた大震災のこと。そして、防災の大切さを伝えたいと考えている。
七海さん
「もし学校にいたらとか通学、下校中だとか、そういう時に地震が起こったら君たちはどうやって自分の身を守るみたいなことを子供たちに考えさせたいな思っていて。ボランティアでの震災の授業も私たちから聞いた話を、今度はみんながお家の人とか周りの人に話してごらんって言ってます。それが多分みんなも語り部として地震を忘れないために出来ることだからやってみてねっていう風なこと言ってるので伝えていってほしい」
自らが学びを通して震災のことを少しづつ理解してきたように。
知りたい、誰かに伝えたいと思う子どもたちが増やしたいと考えている。
震災を風化させない。
その方法はもっと気軽なところにあるのかもしれない。