【「旧防災対策庁舎」は祈りの場・教訓を伝える場】南三陸町長 町の「震災遺構」として保存する意向表明 一時解体される方針だった「庁舎」(宮城)
宮城・南三陸町の佐藤仁町長は、現在 宮城県が管理する「旧防災対策庁舎」について7月から町の震災遺構として保存する意向を表明した。
一時は、解体の方向だったが、「東日本大震災」から13年を前に、改めて祈りの場、教訓を伝える場として保存が決まった。
鉄骨の骨組みだけが残る 宮城・南三陸町の「旧防災対策庁舎」。
現在も多くの人が訪れる祈りの場となっている。
南三陸町・佐藤仁町長「旧防災対策庁舎については、今年6月30日をもって町に返還いただき、以後町において所有・管理することと判断いたしました」
震災から13年を前に、佐藤町長は3月1日会見を開き、現在 宮城県が管理している庁舎を今年7月から町が震災遺構として保存していく意向を表明した。
佐藤仁町長「防災教育でたくさんの方々が来て、あの場所で手を合わせて、当時の話を聞いている。この場所に防災対策庁舎が無いということは想定できない」
南三陸町の「旧防災対庁舎」は東日本大震災で3階建ての建物の屋上まで津波にのまれ、町の職員など43人が犠牲となった。
佐藤仁町長(2020年10月当時)
「最終的に苦渋の決断になるが、結論として解体せざるを得ない」
南三陸町では、遺族への配慮や管理費用の問題などから、2013年に庁舎の「解体」を決定した。
村井知事(2020年10月当時)
「町が解体をするということだけの理由で、解体に踏み切ることはいかがかという意見が多数寄せられてるのも事実」
宮城県は「保有の是非について時間をかけて考える必要がある」として、2031年3月まで県の管理・保有を提案し町も同意した。
宮城県の所有期間まで7年を残しての判断に、南三陸町民は。
みやげ店の店主「我々も亡くなった方を知ってい るものですから、そういう意味で心を痛めてますけどね。私の個人的な意見として、残しておいた方が良いのかなという想いでいます」
鮮魚店の店主「きちんと残しておいて、後世まで伝えていっていければ非常に良いのかなと思います」
佐藤町長は、自分の町長としての任期中に結論を出すべきと考えたことや、時間の経過による「旧防災対策庁舎」への町民の感情の変化をあげている。