江戸末期に日本茶輸出で財を成した女傑「大浦 慶」功績示す “帳簿” 新たに発見 研究者注目《長崎》
江戸時代末期の長崎の商人「大浦 慶」の功績を示す新たな史料が発見されました。
大浦 慶は客観的な史料が乏しいとされ、研究者は重要な発見だと注目しています。
江戸末期、現在の長崎市油屋町で油商の家に生まれた大浦 慶。
日本茶をアメリカ向けに、約9トン輸出するなど海外への本格輸出を始め、明治政府から功労賞を受けたとされますが、その業績を裏付ける客観的な史料は少ないとされてきました。
新たな史料が見つかったのは、佐賀県嬉野市の住宅の倉庫で大浦 慶が日本茶を輸出する際、嬉野茶の仲買を行ったとされる宮﨑 德松の子孫の家です。
大浦 慶を研究する、長崎外国語大学の元学長姫野 順一特任教授らのグループが今年夏、調査したところ…
(姫野 順一 特任教授)
「通帳がある。明治27年。ほら、茶買入帳だ、出た。素晴らしい」
宮﨑家が茶の買い入れを行っていた、明治時代の帳簿を発見。
さらに明治13年=1880年から使われていた「大寶恵(おぼえ)」と書かれた帳簿の最初の年の1ページに「オールト商会」の文字が書かれていました。
オルト商会は、日本茶の大量輸出を大浦 慶に発注したとされるイギリス商人ウィリアム・オルトの貿易会社です。
帳簿には、宮﨑德松の死後もオルト商会との取引記録があり、両者の関係が最初の輸出以降も長く続いていたことをうかがわせます。
(姫野 順一 特任教授)
「徳松が築いたお慶さんを通じてのオルト商会との取引が続いて(息子の)徳市さんも、お酒をオルト商会に納入していた」
今年、没後140年となる大浦 慶。姫野特任教授は、発見した帳簿などの解析を現在進めていて、今後の新たな史料の発見につながればと期待を寄せています。
NIBでは、この大浦慶の史料の発見を含めた歴史番組を、21日午後2時から放送します。