ナベツネ“語録”で振り返る…渡辺恒雄氏死去 政界やスポーツ界に影響力
読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆が19日、肺炎のため亡くなりました。98歳でした。政界やスポーツ界にも大きな影響力を持っていた渡辺氏のこれまでを振り返ります。
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19日に亡くなった渡辺恒雄氏について紹介します。
1926 年(大正15年)に生まれました。1945年に東京大学文学部哲学科に入学されます。そして、卒業後の1950 年に読売新聞社に入社。政治部の記者として、中曽根康弘元首相など大物議員と信頼関係を築いていきます。
1985 年に主筆に就任。そして、1991 年に社長に就任しました。政界を中心に幅広い人脈を持っていた一面もありながら、読売巨人軍のオーナー、さらには大相撲の横綱審議委員会の委員長を務めるなど、スポーツ界にも大きな影響を与えてきました。
そのため、各界から惜しむ声が寄せられています。
石破首相(19日午前)
「今、日本の政治がこういう状況にあって、党のあり方、民主主義のあり方、(あるいは)日本国のこれからの平和国家としての歩み、そういうことについて、まだまだ教えていただきたかった」
岸田前首相(19日午前)
「言論人として、マスコミ人として、大きな影響を日本の戦後の歴史において残された方でした。ひとつの時代が終わった」
そして野球界からは、長嶋茂雄終身名誉監督からコメントがありました。
「突然の訃報でした。しばらくは、何が起こったのか、頭は白紙の状態でした。古く長いお付き合いで、巨人を離れても沢山の思い出があります。今、何を話せばよいのか、巨人が勝った時の渡辺さんの笑顔しか浮かんできません」
そんな渡辺氏ですが、ある映像が残されています。2004 年のプロ野球の実行委員会に出席した渡辺氏。多くの記者に囲まれていることからも、その影響力の大きさが伝わってきます。
この時、記者に対して…
「いいかげんにしろ!無礼だろ!」
声を荒らげて一喝するというシーンがありまして、当時のニュース番組では、非常に多く報道されました。渡辺氏の歯に衣(きぬ)着せぬ発言が、各メディアにも注目されたという証左でもあります。
2004年、読売巨人軍のオーナー時代にこんな逸話がありました。当時、2リーグ制のプロ野球を1リーグ制にするかどうかという“球界再編騒動”というものがありました。この時に、選手会側が球団・オーナー側へ会談を求めたことがあったのですが、この時に渡辺氏はオーナー側でした。
このことについて記者の質問に、「たかが選手が」と答えました。選手を軽視したわけではないと思いますが、これは非常に驚きを持って受け止められたというシーンでした。スポーツ界からも非常に渡辺恒雄氏という存在の大きさというのが実感できた一幕でもありました。
さらに、2010年の激励会での発言では、次のように渡辺氏は言っていました。
「巨人は1番じゃないといけない。2位じゃいけない。それが巨人に与えられた宿命です」
当時は民主党政権で、事業仕分けで蓮舫議員の「2位じゃだめなんでしょうか」という言葉が非常に取り沙汰されました。それを踏まえた発言だったのではないか、ということです。
さまざまな時事に則った発言をされていた渡辺氏ですが、2014 年の日本テレビの番組で次のようなことを話していました。
「国民全部がね、前向き思考になって、世の中が暗い、暗い、自分の不平ばかり言うんじゃなくて、自分が国家、国民にどうしたら貢献できるか。何もしないで棚からぼた餅待ってるだけじゃね、日本はよくならない」
このように日本全体を通した大きな視点をお持ちの方で、岸田前首相も「日本の戦後の歴史において、影響を残された方でした。ひとつの時代が終わった」というふうに述べられていました。
政界、そしてスポーツ界に本当に大きな影響を与えられた方でした。渡辺恒雄氏は、19日未明に肺炎のため、都内の病院で亡くなったということです。