「楽しまなきゃ!悔いのない人生を」松山盲学校でチャレンジ続ける“80歳の女子高校生”

視覚に障害のある人のための学校、松山盲学校に御年80の生徒が通っています。ハンデがあってもチャレンジを続け、人生を楽しむ。卒業まであとわずか、おばあちゃん高校生の青春です。
県立松山盲学校高等部に通う、中川佳江さん(80)。松山盲学校史上最高齢、“傘寿”の高校3年生です。
中川さん:
「やっぱここら辺が凝ってるね。固いね」
中川さんが通う「保健理療科」は、あん摩マッサージの国家資格を得るための技術を学ぶことができる学科です。
中川さんは、ぼんやりと周囲の風景が見える「弱視」。普段は学校の敷地内にある寄宿舎で暮らしながら、高校生活を送っています。
中川さん:
「私ね、あん摩好きなんよ。あん摩するために学校来よるみたいな。もうすぐよ、本当。もう3日位寝たら卒業じゃなと思うぐらい。早い。あっという間やね」
1943年・昭和18年に満州で生まれた中川さん。終戦後、父親の故郷・宇和島市へと戻り、地元の中学を卒業。結婚を機に西条市へ移り住み、喫茶店などを営みながら、2人の娘を育て上げました。
そんな中川さんが盲学校に通う理由…
中川さん:
「風呂場でこけた。目を突いた。それからもう全然見えんなって。そのときに学校に行こうと」
「家でじっとするより学校へ行こう」趣味だった“お灸”を本格的に学び
「もうこれね、40年分ぐらい、私が灸据えたその日その日に記録した。ここへすえた、 ここへきましたよと」
元々、お灸が趣味だった中川さん。書き留めた「お灸ノート」は実に90冊に上るほど研究熱心です。
中川さん:
「内臓のことが分からないと面白くないなと思って。それで学校に行ったらそういうこと教えてくれる。どうせ外に出られないんだったら、家でじっとしとくよりも学校に行く方がいいなと思って」
中川さん
「あれー!?」
高橋先生:
「惜しかったねぇ」
中川さん:
「先生これ私、絶対にこれじゃと思とったんやけど」
高橋先生:
「もうちょっとで100点だったねー」
中川さん:
「えー1問違うた」
2学期の中間テストで惜しくも満点を逃した中川さん。年齢による体力面の不安もあり、国家資格の受験は断念しましたが、卒業まで4か月余りとなった高校生活に、全力で向き合っています。
中川さん:
「子どもがびっくりするくらい『母さんこんなに勉強好きだった?』言うて。『好きじゃないけどせないかんかろ』って。でも、振り返ってみたらいい人生だった。よく3年間頑張ってこれたなと思って。私一人ではとてもじゃないけど。みんなが後押ししてくれてるから」