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「楽しまなきゃ!悔いのない人生を」松山盲学校でチャレンジ続ける“80歳の女子高校生”

2023年10月26日 19:40
「楽しまなきゃ!悔いのない人生を」松山盲学校でチャレンジ続ける“80歳の女子高校生”
松山盲学校高等部に通う中川佳江さん

視覚に障害のある人のための学校、松山盲学校に御年80の生徒が通っています。ハンデがあってもチャレンジを続け、人生を楽しむ。卒業まであとわずか、おばあちゃん高校生の青春です。

県立松山盲学校高等部に通う、中川佳江さん(80)。松山盲学校史上最高齢、“傘寿”の高校3年生です。

中川さん:
「やっぱここら辺が凝ってるね。固いね」

中川さんが通う「保健理療科」は、あん摩マッサージの国家資格を得るための技術を学ぶことができる学科です。

中川さんは、ぼんやりと周囲の風景が見える「弱視」。普段は学校の敷地内にある寄宿舎で暮らしながら、高校生活を送っています。

中川さん:
「私ね、あん摩好きなんよ。あん摩するために学校来よるみたいな。もうすぐよ、本当。もう3日位寝たら卒業じゃなと思うぐらい。早い。あっという間やね」

1943年・昭和18年に満州で生まれた中川さん。終戦後、父親の故郷・宇和島市へと戻り、地元の中学を卒業。結婚を機に西条市へ移り住み、喫茶店などを営みながら、2人の娘を育て上げました。

そんな中川さんが盲学校に通う理由…

中川さん:
「風呂場でこけた。目を突いた。それからもう全然見えんなって。そのときに学校に行こうと」

「家でじっとするより学校へ行こう」趣味だった“お灸”を本格的に学び

「もうこれね、40年分ぐらい、私が灸据えたその日その日に記録した。ここへすえた、 ここへきましたよと」

元々、お灸が趣味だった中川さん。書き留めた「お灸ノート」は実に90冊に上るほど研究熱心です。

中川さん:
「内臓のことが分からないと面白くないなと思って。それで学校に行ったらそういうこと教えてくれる。どうせ外に出られないんだったら、家でじっとしとくよりも学校に行く方がいいなと思って」

中川さん
「あれー!?」
高橋先生:
「惜しかったねぇ」
中川さん:
「先生これ私、絶対にこれじゃと思とったんやけど」
高橋先生:
「もうちょっとで100点だったねー」
中川さん:
「えー1問違うた」

2学期の中間テストで惜しくも満点を逃した中川さん。年齢による体力面の不安もあり、国家資格の受験は断念しましたが、卒業まで4か月余りとなった高校生活に、全力で向き合っています。

中川さん:
「子どもがびっくりするくらい『母さんこんなに勉強好きだった?』言うて。『好きじゃないけどせないかんかろ』って。でも、振り返ってみたらいい人生だった。よく3年間頑張ってこれたなと思って。私一人ではとてもじゃないけど。みんなが後押ししてくれてるから」

明治40年設立の「松山盲学校」 ピーク時190人だった生徒数は今年度20人に

明治40年に私立の学校として設立された県立松山盲学校。幼稚部と小学部、中学部、高等部からなる学校は、昭和39年度に児童生徒数190人を数えていました。

しかし、生徒の数は徐々に減少し、今年度はわずか20人に。

県立松山盲学校 河野 美千代校長:
「少子化と医療の発達。それに加えて、地域の子どもは地域で育てるというところもあって、地域の学校に行ってもらって、本校から必要があれば支援に行かせてもらうという方が増えている」

盲学校を必要とする人の数は、年々少なくなっているのが現状です。それでも、障がいに寄り添いながら専門的に学ぶことができる取り組みを伝えようと、盲学校では去年、YouTubeチャンネルを開設。視覚障害への理解の呼びかけや生徒たちの学校生活を紹介しています。

2023年は、小学生が2人入学。小学部の復活は、3年ぶりのことです。廊下を一人スキップで進むのは、大洲市から転校してきた4年生の川﨑友護くん。友護くんは、点字を指で読み取りながら授業を受けています。

小学部4年 川﨑友護くん:
「普通の学校とかだったら同級生としか遊ばない感じだけど、盲学校だったら、中学生のお兄ちゃんとかとバスケットしたりとかして遊べるからうれしい」

障害に寄り添う盲学校の取組み 大切なのは「工夫してチャレンジすること」

障害があっても工夫してチャレンジすることの大切さも伝えています。

(気体を発生させる実験)
男子生徒:
「よし」
先生:
「はい、どうでしょう?」
男子生徒:
「おぉー」
別の生徒:
「めちゃキレイ」

9月、県内外の視覚に障害がある子どもたちが挑戦したのは…「理科の実験」。

視覚に頼らない方法で科学の世界に親しんでもらおうと、瀬戸内圏域の盲学校が毎年持ち回りで開いているワークショップです。

目玉は、沖縄美ら海水族館の標本を使った体験。

先生役:
「それが下の尾びれ。じゃあ上の尾びれ触ってみてください。どこまである?」
男子児童:
「長ーい!どんだけあるー!?」
先生役:
「そう。大きいでしょー」

60年ぶりの水泳、バンドボーカルにも挑戦!学校生活最後のステージへ猛特訓

80歳の高校3年生中川佳江さんにとっても、チャレンジの連続だったという盲学校での3年間。今年60年ぶりに、水泳にチャレンジしました。

中川さん:
「泳ぎたいって言ったら、泳ぎ方を教えてくれて。そしたらなんかね、すーっと泳げてびっくりした」

いま中川さんが、熱心に取り組んでいるのは…

中川さん:
「文化祭の、歌の練習」

文化祭のステージで披露するバンド演奏。中川さんはそこで、ボーカルを務めるのです。

バンド名はズバリ「中川家」。楽器を演奏するのは、中川さん同様、視覚に障がいのある先生たちです。

高橋先生:
「どうなの?」
矢野先生:
「Bメロが若干遅れよる。何回でも。何回でもどこからでも」
中川さん:
「最初からがいい」

中川さん:
「ちょっと派手にやりたいなと思って。アハハハ!もう何にしたってね、プールにしたって何にしたって、あ、もうこれが最後だなと思いつつ。楽しまなきゃ。悔いのない人生を。この3年間に全部ぶち込んだ」

中川さんが挑む、学校生活最後のステージ。松山盲学校の文化祭は、11月3日・文化の日、開催です。

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