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「佐渡島の金山」世界遺産登録まで約30年 韓国政府の反発も 受け継がれた活動 登録までの歴史を振り返る《新潟》

2024年7月29日 20:24
「佐渡島の金山」世界遺産登録まで約30年 韓国政府の反発も 受け継がれた活動 登録までの歴史を振り返る《新潟》

「佐渡島の金山」を世界遺産に登録しようと活動が始まったのは約30年前…この日を迎えられず志半ばに亡くなった人もいました。
さらに韓国政府が朝鮮半島出身者の強制労働があったとして反発した経緯があります。

登録までの歴史を振り返ります。

伝えきれない感謝をこの墓標に伝えます。

「先生ありがとうございました、おかげさまでした」
「本当にこの人がいなかったら世界遺産にならなかったね」

ここに眠るのは「佐渡を世界遺産にする会」の初代会長、田中圭一さんです。

田中さんは佐渡市金井地区出身の歴史学者で、筑波大学の教授などを務めました。

島根県の石見銀山が世界遺産登録を目指す姿を見て、1997年、「世界遺産にする会」の前身団体を発足。

佐渡の金銀山の歴史的価値を調べ、それが世界遺産に値すると確信していました。

「佐渡を世界遺産にする会」 中野洸会長
「世界遺産はほとんどの人が知らなかった時代でしたその時に石見銀山が世界遺産に登録しようと手を挙げた。石見よりもはるかに歴史的にも産出の量も大きい佐渡が手を挙げないことはないと」

世界遺産登録への動きは2004年に10市町村が合併し、「1島1市」となったことで佐渡市が県と共に取り組む大きな動きとなりました。


2010年には世界遺産登録の前段階となるユネスコの「暫定リスト」に入りましたが…

世界遺産へのステップとなる「国内推薦」には2015年から2021年まで4度の落選を繰り返しました。

文化庁 当時の担当者
「世界中にたくさん鉱山がある中でそもそも佐渡の世界遺産の価値がなんなのか、整理しなおしたほうがいい」

登録に至るまで、文化庁からは厳しい指摘も受けました。

世界遺産が増え続けて1000件を超え、審査も厳格化していました。

佐渡金山の価値を広めようと調査だけではなく、講演会も行ってきた「佐渡を世界遺産にする会」の初代会長・田中圭一さん…

2018年に亡くなりました。

現在の会長・中野洸さんです。

「佐渡を世界遺産にする会」 中野洸会長
「先生が亡くなられて必ずユネスコに登録させて報告にあがりますと弔辞で言わせていただいてそれが実現できて今本当にほっとしてますね。よかったよと…そう思って…」

世界遺産委員会で登録が決まった今回。委員会を構成するすべての国が全会一致で賛成しました。

その中には、朝鮮半島出身者の強制労働があったとして登録に反発してきた韓国も含まれます。

実はここにいたるまで日本・韓両政府が水面下で交渉を進めていました。

その結果、展示が始まったのが…

リポート
「こちらの施設で朝鮮半島出身者に関する資料の展示が始まりました」

佐渡市の既存の「相川郷土博物館」で朝鮮半島出身労働者に特化した新たな展示が登録決定の翌日から始まりました。

展示では、約1500人が鉱山で働いたと説明。

さらに朝鮮半島出身者が危険な坑内作業をした割合が高かったこと、食料不足や死亡事故があったことなどが紹介されています。

展示に至ったのはユネスコの諮問機関・イコモスから、「全体の歴史を現場レベルで包括的に扱う説明」を求められていたからです。

この一文は「戦時中、鉱山で強制労働があった」と主張する韓国政府の姿勢が念頭にあるとみられます。

一方で…

リポート
「過去の資料が掲示されるなかで過酷な労働環境だったことが伺えますが“強制労働”という文字はありません」

過酷な労働環境は紹介する一方、労働が強制されたかどうかは示されていません。

資料館の担当者
「朝鮮半島出身者を含む労働者の生活でしたり労働環境についての資料を展示しています。佐渡鉱山で働いていた人々がどのように働いていたかという事実を展示資料からご覧いただければと思います」

世界遺産登録まで約30年。

「本当にうれしい。あとはホッとした」
Q)最後に佐渡に行ったのは?
「子どもがまだ小さい時だから10年位前。(佐渡に)すぐ行きたいです」

登り切った険しい道のりも含め、「佐渡島の金山」は県民の誇りです。

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