新潟水俣病公式確認59年 水俣病被害者が環境省と懇談 「水俣病は終わっていない」 《新潟》
新潟水俣病の公式確認から59年。5月31日、歴史と教訓を伝える式典が開かれました。出席した環境省の国定政務官は熊本県で被害者の発言を遮断した問題を謝罪。被害者団体は「水俣病は終わっていない」と切実な思いを訴えました。
新潟水俣病の公式確認から59年。
5月31日、開かれたのは「歴史と教訓を伝えるつどい」。
原因企業のレゾナックHDの幹部も出席し、被害者に謝罪しました。
高度経済成長の時代に当時の昭和電工・鹿瀬工場から阿賀野川に垂れ流されたメチル水銀。川沿いの住民が水銀に汚染された魚を食べて被害が広がりました。
〈水俣病被害者 曽我浩さん〉
「阿賀野川流域では川魚は唯一のタンパク源として、まさに生きるために魚を食べてきました。その魚に水銀の毒が入っていて、私たち患者は水俣病になりました。まだ水俣病は終わっていない現実をご理解いただきたい」
水俣病をめぐっては5月1日、熊本県で行われた被害者団体との懇談の場で環境省の職員が制限時間を理由に発言を遮断。後日、伊藤大臣が謝罪する事態にまで発展しました。
この問題を受け、新潟の被害者団体も伊藤大臣に対し、式典に参加し、懇談の場を設けるよう求めてきました。
〈新潟水俣病第5次訴訟 皆川栄一 原告団長〉
「私たちには5月31日が大事な日なんです」
しかし、31日の懇談の場に伊藤大臣の姿はありませんでした。
代わりに出席した環境省の国定勇人政務官は、熊本県で発言を遮断した問題を謝罪。時間制限を設けず被害者の声に耳を傾けました。
〈新潟水俣病第5次訴訟 皆川栄一 原告団長〉
「解決が遅れれば遅れるほど被害者が亡くなっていく。私たちにはもはや時間がありません。私たちの切なる思いをどうか環境大臣に伝えていただきたい」
被害者の皆川栄一さん。7分あまり、自身の症状や苦悩、解決への思いを語りました。
〈環境省 国定勇人政務官〉
「きょうお話を伺ったことは速やかに終わった直後に大臣に電話で報告するつもりです。何ができるのか整えた中でやっていこうとしていることは、きょう、くみ取っていただければと思っています」
「水俣病は終わっていない」切実な思いを訴えた被害者団体。
環境省によると、伊藤大臣は国会閉会後に新潟を訪れ、被害者団体との懇談の場を設ける方針です。