【特集】“佐渡島の金山” 光と影 「世界遺産になっても供養を続ける」 江戸時代に過酷な労働で支えた人々 山奥に残された“無宿人の供養墓” 《新潟》

7月の世界遺産委員会の開幕まであと1か月となりました。
「佐渡島の金山」はそこでの登録を目指しています。
一時は世界最大の金の生産地として栄えましたが、その繁栄を支えた存在を忘れないでほしいと活動する人たちがいます。
山が2つに割れた光景は生まれてから77年間、当たり前のようにそこにありました。
佐渡市相川地区・万照寺の住職・小林祐玄さんです。
この地で生まれ育ち鉱山と、時代の変化を感じて来ました。
〈万照寺 小林祐玄 住職〉
「こんな山の中なのに人がいっぱいいたなというか。 覚えているのは昭和25年、26年より後だと思うんですが、人がいっぱいいた」
日本最大の金銀山と言われた佐渡金銀山。
江戸時代からのおよそ400年間で金78トンを産出しました。
ゴールドラッシュによって金山の麓・相川地区は大都市に……
最盛期の人口は約5万人ともいわれています。
小林さんの先祖はいまの富山県の僧侶で、江戸時代、地元の仲間と共に佐渡の鶴子銀山を目指してやってきたと言います。
その後、金が採れるようになると金山の近くに移動してきました。
〈万照寺 小林祐玄 住職〉
「キャッチフレーズは道遊の割戸が見える所で最後まで暮らした小林君という感じですかね」
昭和22年に生まれた小林さん。
当時、金山はまだ採掘が行われ多くの人で町はにぎわっていたといいます。
しかし金の産出量が徐々に減少……
〈万照寺 小林祐玄 住職〉
「昭和28年の時に三菱金属鉱業佐渡鉱山が大縮小する。当時、 三菱の正社員が600名くらいいたんですが、10分の9、60名くらいを残して、540名くらいは転出していくんですよね」
そして相川金銀山は400年近くの長い歴史に幕を閉じ、平成元年に操業を休止しました。
しかしいま、その馴染みの場所が世界の注目を浴びようとしています。
ことし世界遺産登録を目指す「佐渡島の金山」。
「相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」で構成されます。
「17世紀における世界最大の金の生産地」として去年1月、ユネスコに推薦書を提出。
6月6日、ユネスコの諮問機関イコモスから4段階中上から2番目の「情報照会」の勧告を受け、3つの追加情報が要請されました。
7月21日からインドで開かれる世界遺産委員会での登録を目指します。