【ダム湖で眠る遺構現る】 岩手・西和賀町の錦秋湖で10年に1度の水位低下 遺構見学会に全国からファン集う
岩手県西和賀町の錦秋湖は、60年前、湯田ダムの建設に伴い、住民が集団移転した場所で、かつての集落や線路跡の遺構が水の中で眠っています。
その遺構がいま、10年に1度の水位の低下に伴い、姿を現しています。
11月9日に開かれた現地見学会を、北上支局・熊谷記者が取材しました。
熊谷記者
「西和賀町の錦秋湖親水スポーツ公園に来ています。私がいま立っているこの場所は普段、湯田ダムのダム湖に沈んでいる場所で、かつては集落があった場所です」
11月9日、湯田ダム管理支所が初めて開いた遺構の見学会です。
湯田ダムでことし、10年に1度の点検・補修工事が行われるため、ダムの水を貯める錦秋湖の水位が通常規定されている最低水位より、さらに低くなっていることから見学会が実現。
普段は湖の底深くに眠る遺構を、間近で見られる貴重な機会となりました。
私たちが最初に向かったのは国道107号の対岸、旧国鉄・横黒線の遺構、「スノーシェッド」です。
「スノーシェッド」は、雪崩などから線路を守るためのもので、歩くだけで60年前にタイムスリップしたかのようです。
見学会には県内外から42人が参加しましたが、そのほとんどがダムや遺構の熱心なファンです。
水没によって、現在のJR北上線に付け替えられた横黒線。
参加した人は10年に一度のチャンスを生かして、この場所に足を踏み入れることができ、感激した様子でした。
盛岡から参加した姉妹
「私がダム好きで、姉を誘って来ました。いつもトンネルを国道から見ていて、今回中に入れてとてもうれしい」
(記者:付き合わされたお姉さんは?)
「わぁ~!みたいな感じです」
福島県からの参加者
「全国のダムを回っていて、湯田ダムは私の『推しダム』のひとつです」
(記者:『推しダム』?)
「『推しダム』です!何回も来ています。ここを汽車が走っていたんだなとか、トンネルが造られたときの木材の跡とか、石の形とか見るとすごく感慨深くて、とてもうれしい」
ことしで竣工60周年を迎えた西和賀町の湯田ダム。
治水や灌がい、水力発電に大きな役割を果たしていますが、ダムを建設するため、旧湯田村の4つの地区に住んでいた565世帯・およそ3,200人が県内外に移転し、かつての生活の場は錦秋湖の水の中に沈んでいます。
湯田ダム 管理支所 髙橋夏江さん
「湯田ダム60周年を伝えたかったことと同時に、JR北上線100周年ということで、遺っているものを、本当は独り占めしたいくらいだけれど、みなさんにも見てもらおうと思った。私自身が遺構が大好きなので、60周年に向けてぜひやりたいと(支所長に)お願いした。わたしが一番のファンです!」
一行は次に向かったのは、スノーシェッドとつながる場所にある遺構、「旧国鉄横黒線・大荒沢駅跡』です。
1924年(大正13年)から1962年(昭和37年)まで運用され、岩手県北上市と秋田県横手市を結ぶ鉄路の中間点として大きな役割を果たしました。
そして、こちらは普段、錦秋湖に沈んでいる「大荒沢ダム」の堤体です。
こちらは1940年(昭和15年)に完成した 発電用ダムで、10年に一度しか出現しないまさに「幻の遺構」。
今回は堤体の一部が出現しました。
宮城県から参加した人
「もう満足です!ダム見学は各地でやっているけれど、水位が下がって(昔の)ダムの跡を見学できるというのは、あまりない。これは絶対に行かなければと思って来た。3歳からダムが好きなんです!」
60周年の企画は見学会だけではありません。
湯田ダム管理支所では11月5日から記念のダムカードを配布しています。
このカードを町内の飲食店などで提示すると、ソフトクリーム50円引き!といったサービスが受けられます。
また、ほっとゆだ駅前の湯夢プラザでは、水没前と現在の様子を比べて見ることができる写真展が開催されています。
湯田ダム管理支所 髙橋夏江さん
「(湯田ダムは)水没地帯から移転してくれた人たちの協力があって建設できた。その人たちが生活していたところをみなさんに見てもらいたかった。私たちの生活があるのはその人たちの協力がなければできなかったと思っている」
錦秋湖の水位低下は12月20日まで続く予定です。
見学会のように船で遺構を見に行くことはできませんが、歩いて行ける範囲であれば10年に一度のこの景色を誰でも楽しむことができます。