【全線開通100周年】JR北上線 県南の発展支えた路線存続への課題
岩手県北上市の北上駅と秋田県の横手駅を結ぶJR北上線が11月15日、全線開通から100周年を迎えました。かつては鉱石の運搬などで県南地域の発展を支えてきましたが、乗客の減少でいま、存続が危ぶまれています。北上線は今後どうあり続けるべきなのか。関係者の証言などから考えます。
北上市和賀町の歴史に詳しい菊池篤さん83歳。11月12日、北上線にまつわる遺構を案内してくれました。
遺構をのぞき込む菊地さん
「何か、つくったものを乗せて焼いたような跡があります、残っています」
北上線沿いにかつてあった仙人製鉄所。とりわけ戦争による国内の鉄の需要を支えました。
北上線の前身で、1907年に開通したおよそ21キロの「和賀軽便鉄道」や、北上市の拠点となった黒沢尻と、秋田県横手市を結んだ「横黒線」は、この製鉄所から鉱石や鉄を関東などへ運ぶ役割を担いました。この売り上げで北上市は発展を遂げ、県内の経済を支える大事な場所の一つとなりました。
菊池さん
「仙人地域も外から入って来て人口も増えて、学校も大きくなったり建物も立派になってかなりにぎわいを見せた」
産業が発展することで人材が街に入り、都市開発にもつながる。現代の北上市につながる風景は、すでにこの頃から見られました。
住民にとって、大きな転機もありました。北上川の治水を目的に、1964年に完成した「湯田ダム」。11年ほどかかった大規模工事では、沿線集落に住んでいたおよそ600世帯が移転を余儀なくされました。
あの日の光景を忘れないように。今でも10年に一度、ダムの検査で水位が下がる際には当時の駅など、人々の暮らしをめぐる見学会が開かれます。
参加者 「うおー」「動物も来てるみたい。足跡があります」
西和賀町耳取地区に住む高橋芳勝さん86歳です。ダムの建設にともない、一家5人で引っ越しました。当時の様子をこう振り返ります。
高橋芳勝さん
「耳取地区に12、13戸しかなかったと思うんだ。それから鉱山が増えてきて、大きくなっていって、ここさだいたい200戸くらいになったかな」「あっちから来てやるもんだから、ハイカラなスーパーや映画館もあったんだから」
鉄鋼やダム建設で活気づいた地域。しかし、北上線はいま、岐路に立たされています。
JR東日本によると、2023年度、1キロあたり1日に利用した平均の人数は266人。国鉄が民営化した36年前の1147人と比べて、7割以上減っています。収支も、昨年度は16億6000万円の赤字と、苦しい経営が続きます。
この中、西和賀高校の生徒は、およそ6割が通学に北上線を利用しています。かつて通学に使った先輩たちも、存続を心配しています。
高橋純さん
「さびしいことはさびしいけれど、でも」「しょうがないのかな。本当に乗る人がいなくなれば」「(北上線がなくなれば)西和賀高校は小中高と同じ顔ぶれになってしまう」
10月26日に開かれたトークショーでも、北上線を継続させるため、参加者が知恵を絞る場面がありました。
ジャーナリスト 鈴木文彦さん
「沿線に住んでいる人みんなが、年に1回、拠点駅、北上線なら北上駅とか横手とか、年に1回運賃払って、乗ってくれればかなり状況は改善する」「地元の人が使おうという意識をもって使っていかないと、外に頼るだけではダメなんです」
北上線の利用者を増やそうと、2023年11月、沿線の自治体などでつくる「利用促進協議会」が、無料乗車券5000枚を配るなど対策に乗り出していますが、効果的な解決策はいまだ見いだせていません。
北上線沿線の遺構を巡った菊池さんです。これまでの北上線の功績をたたえながら、私たちにこう、投げかけます。
菊地さん
「横黒線跡、鉱山軌道跡、製鉄所跡を多くの人によく知ってもらいながら、鉄道を大事に考えていかなければならない」「多くの市民や住民に伝わるように、機会をみんなと協力してつくっていくのも必要」
岩手県南の発展を支えた北上線。次の100年を迎えるために、沿線の人口減少が進む中、私たちに多くの課題を突きつけています。