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【海街リポート】カウンセラーになった遺族

2024年3月27日 19:08
【海街リポート】カウンセラーになった遺族

 東日本大震災の記憶をつなぐ特集「海街リポート」です。津波で、大切な家族を失った女性は、悲しみを抱えながらも人の心に寄り添いたいとカウンセラーになりました。その理由とは…。

記者リポート「震災で大切な家族を失った女性は、きょうもカウンセラーとして人の心に寄り添っています」

 震災で被災した人などの心のケアにつなげてもらおうと開かれたお茶会です。運営を任された大槌町出身のカウンセラー、野坂 紀子さん(49)です。

野坂紀子さん「能登半島地震がちょっと発生してしまってやっぱり私自身も少しなんでしょうね…フラッシュバックしてる」

 紀子さんは、盛岡市で暮らしています。生まれ育った大槌町は、震災で人口の1割近い1271人が犠牲になりました。紀子さんの家も津波で流され、父親は数年前に亡くなりましたがその介護のため、病院に通いやすい盛岡に家を再建しました。

夫・真さん「(大槌で)なんかいろんな人から美代ちゃんって言われてたよね」
紀子さん「そっくりだからね」

 美代ちゃんと呼ばれていた、紀子さんの母、美代子さんです。街の洋品店を営む責任感の強い女性でしたが、あの日から行方が分かりません。かつては小学校の教諭として教え子に慕われていた祖母、百合子さんも、津波で命を落としました。

世界から色が消えた。そう感じました。

紀子さん「つらい思いの中どうやって生きていくのかっていうのを知りたかった」

 その年の冬、紀子さんはふるさと大槌町で、干してあった新巻鮭をみて、震災後初めて、「きれい」だと思いました。それまで下ばかり向いていました。

紀子さん「【絶望】しかないなって時にですね、支援のお仕事っていうのにすごい興味を持って」「やっぱり癒されている時ってみんないい表情になりますよね、そういう表情をみることで、なんかこっちもそれを受け取れるというか」

 震災の2年後、知り合いのすすめで、働く人が抱える心の問題を支援する「産業カウンセラー」の資格をとりました。それからは県やNPO法人の企画する催しで相談員をしています。この日は、NPO法人が開いた被災者などの心のケアにつなげるお茶会の運営を任されました。10人ほどが参加し、紀子さんのテーブルには、震災の伝承活動を一緒にしたことから交流がある、大槌町の遺族、倉堀 康さん(40)がいました。倉堀さんは震災で、家族みんなを一度に失いました。

倉堀 康さん「能登の報道を見てから、自分のいまのメンタルがもうガタ落ち状態なんです」「頭ではわかってるけど体はね、それと反することに動くわけよ、だからたまにパソコンと向き合うとやると調子悪い時ある」

紀子さん「パソコンはどうしてもパソコンってよくないからね、こうなるからね、できるだけみないほうがいいから」

 紀子さんは、耳を傾けます。カウンセラーが、気持ちを受け止め、共感することで、安心して話せるようになり、気持ちの整理や問題の解決に進んでいくとされています。

倉堀さん「被災した人たちのコミュニティーの場が少なくなりすぎているから(こういう場が)必要だと思う」

 カウンセリングをする紀子さんも心の奥に震災のつらさを抱えています。

「自分なりに線を引きながら聞いていくっていうのもあって、疲れる作業ではあるんだけど(きついね)」「ただやっぱそうやってやること、カウンセリングをすることで、何だろう、お話ししたい人が少しでもね、安らぎというか、そういうのが生まれてくるといいなと思いながら」

 同じテーブルにいたのは、大槌町出身の小笠原 弘子さんです。紀子さん、倉堀さんとは震災後から交流があり、2人に会いたくて参加しました。

小笠原さん「みんな思いを持ちながら、みんな頑張って前向いてんだなっていうのをますます月日が経つとね、思いますね」

紀子さん「私や倉堀さんのお母さんみたいなふふふお母さんみたいな感じ」

小笠原さん「いまねなんかねそういう気持ちでね接してるの、時々反抗する子どもだけど、ははは」

 時間が経っても心の傷が痛みます。それでも紀子さんは、人を支え、そして、人に支えられながら、生きていきます。

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