【南海トラフ】水深2650mの海底での調査作業 地震専門家らが進める「ゆっくりすべり(スロースリップ)」の研究 「『ゆっくりすべり』がなければ、能登半島地震は起きなかった」巨大地震の予測への挑戦に密着
「スロースリップ」=「ゆっくりすべり」。地震に関するニュースの中で、耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか?「通常と異なるゆっくりすべり」は、南海トラフ地震臨時情報の発表条件になっています。一体、どのような現象なのか?今、どこまでのことがわかっているのか?「ゆっくりすべりをつかまえろ」―巨大地震との関連性の解明に挑む研究者たちを取材しました。
「ゆっくりすべりをつかまえろ」深い海の底での観測点の設置に挑む探査船
2023年11月、静岡市・清水港。「ゆっくりすべり」を調べるための航海が、始まろうとしていました。
(「ウェークアップ」谷河悠規ディレクター)
「全長210メートル。海面からの高さはビル約30階建て分のやぐらを持つ、探査船『ちきゅう』の乗船許可が下りました」
国立研究開発法人・海洋研究開発機構(JAMSTEC)が所有する地球深部探査船「ちきゅう」。地震の調査を前に、今回、特別に船内の撮影が許されました。
船内を案内してくれたのは、この調査航海プロジェクトを率いる荒木英一郎さん。高さ約70メートルのやぐらを使って海底を掘り進め、地震の観測装置を埋め込む計画です。
(「海洋研究開発機構」海域地震火山部門・荒木英一郎さん)
「『ゆっくりすべり』がどこで起こっているかを把握することが、第一ステップです」
「ゆっくりすべり」―海底の下で起こるこの現象を観測することが、このプロジェクトの目的です。
日本周辺では、海のプレートが陸のプレートに向かって沈み込んでいます。
陸のプレートは、海のプレートに引きずり込まれ、ひずみがたまります。これが限界に達すると、急激に跳ね上がり震動を起こします。これが、海溝型地震の原理です。
一方「ゆっくりすべり」は、引きずり込まれていた陸のプレートが、ゆっくりとすべるようにしてずれ動きます。私たちが揺れを感じることもない地殻変動ですが、巨大地震の予測につながるのではないかと考えられています。
探査船が向かうのは、紀伊水道の沖合。南海トラフ巨大地震の震源域です。水深2650メートルの海底から500メートルほどドリルで掘り進め、観測装置を陸側のプレート内に埋め込みます。
装置に入っているのは、荒木さんが開発した「光ファイバーひずみ計」。ひずみ計は地下の動きを測るもので、過去最高の観測精度を誇るといいます。
(荒木さん)
「光ファイバーのケーブルの長さが200メートルぐらいあり、それをステンレス管に巻いたような構造になっています。この装置からデータを送信して、陸上でもセンサーが『ゆっくりすべり』でどう変化したかをモニターできる」
「光ファイバーひずみ計」は、10億分の1メートルのわずかな動きも検知できるといいます。ひずみ計に軽く手で触れただけで―。
(荒木さん)
「光ファイバーが伸びます。『ゆっくりすべり』は、これよりももっと小さな動きを測るので、ひずみ計の感度は非常に高いです」
他にも、水の動きを観測するための「水圧計」を設置。様々なデータで、地下の動きを捉えようとしています。
出航から約2週間後、無事、紀伊水道沖で観測装置の設置に成功しました。
南海トラフ巨大地震の予測につながる、新たな一歩です。
「やはり準備プロセスは“ゆっくりとしたすべり運動”だろう」能登半島地震をはじめとする地震との関連性があるとみられる「ゆっくりすべり」 研究の現在地
「ゆっくりすべり」は、25年ほど前から研究者の間で注目されるようになりました。2011年の東日本大震災の直前にも、発生していたと考えられています。地震のメカニズムに詳しい東京大学・井出哲教授も、「ゆっくりすべり」と巨大地震には関連性があるとみています。
(東京大学・井出哲教授)
「いきなりドカーンと地震は始まらないこともわかってきていますので、やはり準備プロセスは“ゆっくりとしたすべり運動”だろうと」
実は、「ゆっくりすべり」は日本全国で起こっています。例えば、千葉県東方沖の付近では「ゆっくりすべり」をともなう地震が多発していて、この現象は、おおよそ5年前後の間隔で起きています。このように、「ゆっくりすべり」と地震がセットで起きるパターンもあれば、そうでもないパターンも…。
写真は、「ゆっくりすべり」が起きた場所を図に示したものです。
(井出教授)
「ここは全部、『南海トラフ巨大地震』の範囲です。見ての通り『ゆっくりすべり』はひっきりなしに、どこでも起こっているのが、よくわかります」
「ゆっくりすべり」はこれだけ発生していますが、必ずしも大きな地震につながっているわけではありません。
日本で最初に「ゆっくりすべり」が発見されたのは、愛媛県と大分県の間にある豊後水道。2024年4月17日、豊後水道を震源とするマグニチュード6.6の地震がありましたが、どのような「ゆっくりすべり」を捉えていたのでしょうか―。
(井出教授)
「豊後水道で『ゆっくりすべり』が定常運行しているもの以外にも、何か大規模な“すべり運動”がたまたま起きていて、それが起きたタイミングでマグニチュード6.6の地震が起こったと。いろんな『ゆっくりすべり』の法則が、実験室レベルでわかってきているけど、実験室では、せいぜい小さいサイズのサンプル。その中で起きた現象が、本当に地下100kmで起きているのかというと、そんなに簡単なものではない。地下の、岩盤と岩盤がすれ違っているところは、岩が壊れてすり減ったりしていますし、場合によっては化学反応も起きたり、ぐちゃぐちゃになっている。マグニチュード8とか100kmのスケールで、我々の社会に影響を及ぼすような現象を理解するには、まだまだいくつか越えなければいけないハードルがある」
「ゆっくりすべり」のきっかけは“水”?内陸型の地震でも関連性が指摘「日本全国どこでもある可能性があると思います」
「ゆっくりすべり」は海だけではなく、内陸型の地震でも関連性が指摘されています。能登半島の地震の研究を続ける京都大学防災研究所・西村卓也教授は、ある仮説を立てています。
(京都大学防災研究所・西村卓也教授)
「断層はもともと摩擦力で止まっていますけど、その中に流体や水があると滑りやすくなります。そこで『ゆっくりすべり』を誘発したのではないかと」
西村教授のシナリオでは、「流体が入ったことで地下の断層がゆっくりすべり、群発地震を引き起こす。さらに流体の量が増えるにつれて、広い範囲で『ゆっくりすべり』が誘発された。これが2023年5月のマグニチュード6.5の地震につながり、最終的には、2024年1月1日の地震の発生にも影響を与えた」というのです。
(西村教授)
「『ゆっくりすべり』の断層と、マグニチュード7.6の能登半島地震が起きた断層が一連につながっているかということは、まだよくわかっていません。ただ、周辺で『ゆっくりすべり』が起こっていたのは間違いなくて、それもかなり近接した場所で起こっていたので、マグニチュード7.6を起こしやすくなるような力を『ゆっくりすべり』が起こしていたということは、ほぼ確実だと思います。この『ゆっくりすべり』がなければ、おそらく1月1日に能登半島地震は起こらなかった。もうちょっと後に起こるはずだった地震を、『ゆっくりすべり』が早める効果があって、地震が起こってしまったということになると思います。能登半島の場合は、大きい地震を起こすだけのポテンシャル(可能性)がある活断層があって、その周辺で『ゆっくりすべり』が起こったので、最終的にその引き金になってしまった。『ゆっくりすべり』があって、その周辺の大地震を誘発するということは、日本全国どこでもある可能性があると思います」
課題は「ゆっくりすべり」観測網の拡大 「まだまだ四国沖や日向灘に関しては、全くわかっていない状況」
「ゆっくりすべり」の正体を“つかまえる”ことは、できるのか―。紀伊水道沖の観測点の設置から、まもなく半年。
海洋研究開発機構・荒木さんの元を訪ねると、リアルタイムの観測データが届いていました。一部は、すでに気象庁などに提供されています。
(荒木さん)
「紀伊水道沖では、『ゆっくりすべり』は発生していないと考えています。これまでのデータを見ていくと、異常な変動は起こっていません」
観測点は、今回設置した紀伊水道沖以外に、熊野灘にも3か所あります。南海トラフ巨大地震の震源域は広いため、今後は四国沖と日向灘にも観測網を広げる方針です。
(荒木さん)
「ようやく熊野灘・紀伊水道沖の地域に関しては、ある程度の監視ができるようになったと考えていますが、まだまだ四国沖や日向灘に関しては、『ゆっくりすべり』が起こっているのかどうか、全くわかっていない状況です。観測がなければ、地震の前に変動があるのか検知できないと思っているので、急いで観測装置を入れていきたいというのが、私の思いです」
(「ウェークアップ」2024年4月27日放送)