「力があるだけでは甲子園に行けない」熊本国府の青年監督が語るチーム作りへの思い
去年、秋の九州大会を制した熊本国府。準決勝では、今回、春夏通算12回目の出場を決めた鹿児島の神村学園、決勝では、3年前の春のセンバツ準優勝・大分の明豊と、いずれも全国屈指の強豪を破り、創部18年目にして春夏通じて初の甲子園への出場をつかみ取りました。
強豪校では珍しく、熊本国府は部員全員が県内の中学校出身者。ずば抜けた選手がいる訳ではありません。投手陣を引っ張るのは、左右の2人の投手。右投げの坂井理人投手と左投げの植田凰暉投手です。打たせて取るピッチングで、守り勝つ野球がチームの特徴です。
このチームを作り上げたのが、就任3年目の山田祐揮監督。…と言っても、どの人か言われないと分からないほど、若いんです。
■熊本国府 山田祐揮監督
「よく生徒と間違われます」
山田監督は31歳。指導している姿は、選手と一緒に野球を楽しんでいるかのように見えます。
■野田希主将
「最初は優しすぎると感じて、大丈夫かなとは思いました」
部員から「優しすぎる」と言われる監督。自身の指導方法について聞きました。
■熊本国府 山田祐揮監督
「自分も高校時代、できていたかって言われたらできていなかったと思うので、自分が学生だった頃を思い返しながら…」
山田監督は八代市出身。根っからの野球少年という訳では無かったといいます。
■熊本国府 山田祐揮監督
「あなたは教師になるんだと、母親が呪文のように、小学生の時から毎日言ってたので、じゃ、もう野球はいいかなーという中学時代でした」
■山田監督の母 恵津子さん
「プロ野球の選手とか、ひと握りだから、勉強・勉強って(笑)」
しかし、中学ではエースで4番。周りの人の強い勧めもあって、高校野球の名門・熊本工業へ。当時のコーチに高校生の頃の山田監督について聞きました。
■熊本工業時代のコーチ 野田謙信さん
「一つ言えば十分かるような子でしたね。かなり頭が切れるなという事がすぐ分かりましたので、ああ、この子が熊工を背負っていくなという感じがしたんですね」
コーチの強い推薦もあって、2年生の時にはレギュラーとして甲子園に出場。しかし…。
■熊本国府 山田祐揮監督
「足がすごく震えていました。試合中ずーっと。わーっていう歓声で体が揺れるぐらい」
当時、外野を守っていた山田監督。甲子園の雰囲気に飲まれ2度のエラー。自身せいで負けてしまったと、自分を責め続けました。
■熊本国府 山田祐揮監督
「自分のせいだと思います。あれで流れが完全に変わったなと思ったんで」
リベンジを誓ってキャプテンとして臨んだ最後の夏の県大会。前の年の主力メンバーが残り、甲子園出場への期待も高かったチームでしたが…。
■熊本国府 山田祐揮監督
「甲子園に絶対に行かないとおかしい戦力でしたから。それぐらい強かったんですけど、最後は7対0で完敗っていう」
何と県大会であっけなく敗退。この経験がその後の指導の原点となりました。
■熊本国府 山田祐揮監督
「それを生徒たちにも『あのね、力があるから甲子園に行けるじゃないんだ。力があるから行けるんだったら、俺たち絶対行ってるはずだ。でも行けてないんだ俺たちは。力をつけりゃいいじゃなくて、何かそれだけではない力を持たないと甲子園には届かないんだよ』というのは言ってます」
「それだけではない力」とは一体何なのか。高校卒業後、今度は指導者として、再び甲子園を目指す決意をした山田監督。甲子園に行けるチームとは一体どんなチームなのか、共通点があることに気付いたといいます。
■熊本国府 山田祐揮監督
「甲子園に行く線引きみたいなものは、ちょっとずつ分かってきたかなって…」
甲子園に行けるチームと行けないチームの線引き。それは一体?
■熊本国府 山田祐揮監督
「行けるチームは、心が一つになってるんです。よく言われる事ですけど、チーム全員が同じ方向を向いている。今年のチームはまさにそうです。皆、並みの選手ですよ。プロが注目するようなとか、大学が取り合いになるような選手はいないですから」
■熊本工業時代のコーチ 野田謙信さん
「それを早々と分かったという事なんですよ。早々とわかるという事自体がすごい」
とはいえ、どうやって選手の心を一つにするのでしょうは。
■熊本国府 山田祐揮監督
「野球を始めた最初の気持ちを常に持たせる事かな…とは思いますね。無邪気にボールを追いかけていた頃を思い出してくれと。初めて高校生になって打席に入った時の気持ちを覚えているかとか…緊張したでしょう?当たっただけでほっとしたろう?って。その気持ちを忘れずにやってくれと」
初出場の熊本国府。甲子園でも、きっとそのフレッシュな気持ちで、ハツラツとしたプレーを見せてくれるでしょう。熊本国府は3月18日、大会初日の第3試合で滋賀県の近江との初戦に臨みます。
【スタジオ】
山田監督が守りの熊本国府を作り上げてきたのには、今年の春のセンバツから導入される使用できるバットの新基準も背景にあります。今年の春から高校野球で使用できるバットは、これまでのものに比べ、打球速度や飛距離が出にくく、飛びにくい性質になりました。
これに注目していた山田監督は、「どれだけ打撃が得意な選手でもいつか伸び悩む時が来る」と考え、まずは守りを磨こうと、今の3年生の入学当時から守備の練習を徹底してきました。
そんな山田監督が指導する上で一番大事なことだというのが、「選手が毎日練習に来てくれること」。ここに来れば成長できる、向上できると選手たちが楽しく練習できる環境を作りたいと話していました。