甲子園優勝、プロ選手、五輪金メダル…大分が誇る英雄たち 野球の歴史振り返る特別展
アメリカ大リーグでの大谷選手の活躍やプロ野球の日本シリーズを控え野球が盛り上がりを見せています。
そうした中いま、大分県宇佐市では県内の野球の歴史を振り返る展示会が開かれています。
大分の野球を彩ったチーム、そして選手ゆかりの品々は必見です。
宇佐市の県立歴史博物館で10月18日から、「大分野球」という展示会が始まりました。
◆県立歴史博物館 企画普及課村上博秋課長
「栄冠が大分に輝いたときとしていますので、大分県民の誇りのようなものを喚起して、ひとつの郷土愛のようなものに繋がるような展示会が出来ればと思って企画した」
大分県の野球の歴史は古く、旧制大分中学、現在の大分上野丘高校で明治20年代に始められました。
しかし県勢の甲子園への道のりは厳しく初めて甲子園の土を踏んだのは昭和6年の大分商業。昭和13年には浦野投手が甲子園でノーヒットノーランを達成しました。
高校野球の歴史といえばやはり津久見高校。
名将・小嶋監督のもと昭和42年、センバツ初出場で初優勝を果たすと昭和47年には、夏の甲子園でも優勝を成し遂げました。
◆県立歴史博物館 企画普及課 村上博秋課長
「津久見市民は、本当に誇りに思っているようで、私も今回の調査でやはり熱く語る姿に出会いました」
大学野球では平成15年日本文理大学が東京六大学、東都大学など全国の強豪を下し奇跡の大学日本一を成し遂げました。
社会人野球では戦後間もない昭和24年、都市対抗で別府星野組が日本一に輝き県民に大きな勇気を与えました。
プロ野球でも、数々の選手が県民を熱くしました。
中でも中津市出身の大島康徳さん佐伯市出身の野村謙二郎さん、そして大分市出身の内川聖一さんは、2000安打を達成。
また別府星野組を日本一に導き、その後プロ野球で活躍した大分市出身の荒巻淳さん。
いまだに破られることのないシーズン42勝をあげ神様、仏様、稲尾様と称えられた別府市出身の稲尾和久さん。
そしてアマチュア野球からも、バルセロナオリンピックで日本代表監督を務めた佐伯市出身の山中正竹さんが野球殿堂入りを果たしています。
◆県立歴史博物館 企画普及課 村上博秋課長
「選手の活躍というのが非常に大分県民の誇りになります。大分県の野球の綿々と続いてきた歴史の延長線上にあるんだと思います」
脈々と培ってきた歴史が、大きく花開いたのが東京オリンピックでした。
埼玉西武の源田壮亮選手、福岡ソフトバンクの甲斐拓也選手、そして広島の森下暢仁投手、県出身3選手が、悲願の金メダル獲得に大きく貢献しました。
◆県立歴史博物館 企画普及課 村上博秋課長
「ぜひ若い人たち、特に子供たちに見てもらってこういう夢があるよ、こういう風な活躍をすると大分県民が喜ぶんだということをこの展示を通じて知ってもらうとありがたい」
アマチュア野球で、そしてプロ野球でこれからどんなチーム、そして選手たちが新たな歴史を刻んでくれるのか夢は広がります。