高知東生「弱みがバレたら男じゃねえ」ヤクザの親分の息子として育ち“認められるため”薬物へ…今語る“男らしさ”に縛られない生き直し【国際男性デー】
■「男は女の3歩前を歩く」が根底にあった 特殊すぎた“幼少期”の環境
恥ずかしながら、私自身「ジェンダーって男性が語っていいものなのかな」と思っていた部分もあります。
高知東生さん:
僕は今、ジェンダーに関しての(ゆがんだ)考えから抜け出ることができました。生きることが、めちゃくちゃ楽になりました。
これまでの人生は、本当に“苦しい”を通り越していました。幼少期、僕の周りの環境自体が普通じゃなかった。母親がヤクザの親分の愛人という、「THE男社会」というものの中で育った。「出ていけ」「捨てるぞ」と言われるのが怖くて、大人に何か尋ねちゃいけない、いい子でいなきゃいけないと思っていた。「男は信じたもののために命を張る」とか、もう映画の世界と一緒だったけど、おかしいとは全く気付かなかった。
宇田川:「自分も大きくなったらこういう男になるんだ」と子ども心に思っていたんですか?
高知:成人したら、俺はその組の後を継ぐんだろうなって思っていました。今思うと、ちゃんちゃらおかしいんだけど、「女は男の3歩後ろを歩く」というようなことを、刷り込まれてきました。なぜ男が女の3歩前を歩くのか。守るために、障害なりを自分が先に浴びる。それが俺の中で「男らしさ」「女らしさ」の根っこにあるんだよね。
宇田川:状況は全然違いますが、僕も子どもの頃、「男なんだから」ということは、よく言われた記憶があります。
高知:特殊な家庭環境、プラス、僕は野球をやっていたんだけど、当時はやっぱり水を飲むと「根性がねぇ」と言われた。「それでもお前男か?」「レギュラーとりたくないのか?」って。すごく都合のいい「男たるもの」が頻発していた時代だったと思う。
■弱みを知られたら終わり “できます”と言い続けることが“男らしさ”だった
高知:地元では「組の親分の息子」ということが、自分が思っている以上に知れわたっていた。そして俺が17歳の時にお袋が自死して。その時に(それまで)父親だと思っていた人が、本当の親父じゃないことが分かっちゃった。もう俺はぶっ壊れました。俺の周りの大人は誰1人、真実を言ってくれないのか、と。
親友にも「親父じゃなかったよ」というのが怖くて。東京で「成り上がる」と言って(故郷を)出てきたけど、本音を言えば、逃げたかったんですよ。
宇田川:高知県から上京。その後、考えが変わるタイミングはあったのでしょうか。
高知:弱みを知られたら終わり、負けたら終わりみたいな自分が出来上がっていきました。成り上がるためにどうするか。自分のなかでは、全ては勝負で、「0か100か」。もう常に戦闘モードで「やれません」「苦手です」なんて言ったらチャンスは回ってこないから、(ハッタリを)かましてでも「できます」と言い続けた。それが自分の「男らしさ」だった。
宇田川:裁判では、20歳のころから薬物を使っていたと話していましたね。
高知:東京へ出てきて、ディスコに顔を出すと、僕らとあまり年齢が変わらないのに、仕事はバリバリやって、いい車に乗って、理想の女性と豪快に遊んでいる人たちがいた。どうやって成功したのか、金を掴んだかの情報が欲しい、仲間になりたいと思って何度も足を運ぶうちに、そのVIP席に僕も入れるようになった。
そうしたらある日、そいつらが薬物をやっていた。「お前やったことあんのか?田舎者だけど」と言われ、経験はなかったけど、「あるに決まってんじゃん」と言いながら、見よう見まねで吸いました。タチが悪かったのは、「仲間として認められた」という喜びもあって、薬物の感覚と違った意味で、十分高揚感があった。その高揚感に比べて(薬物は大したことない)、「こんなんだったらいつでもやめられる」と思ってしまったんです。
それから、家族ができた。ストレスがあったが、「家族にも弱みがバレたら男じゃねえ」と思っていた。だから家族にばれないように、外でどうやって自分の問題を解消するか。薬物を、逃げ方の1つの手段として(使った)。今思ったら、本当にふざけた話だけれども、そうするしかなかったんですよね。誰にも言えないから。
宇田川:そして2016年に覚醒剤取締法違反などの疑いで逮捕されました。当時、「男だからこうしなきゃ」と、物事に悩んでいたんですか?
高知:今振り返ると、「男だから」と言っていた自分に対して、笑いっぱなしですよ。「バカか、俺」って。でも、当時はとにかくそうやって自分を鼓舞して、一生懸命戦っていたことも事実なんです。
苦しかったから、紛らわすために薬物を使った。結局、捕まったわけだから、良いわけないんですよ。でも今、捕まった後から自分が「生き直そう」と思って年月を過ごしている中で、当時の自分に「その時はお前、精一杯だったよな」って、認めてあげることができたんですよね。自分を認めてあげたからこそ「でも、これからも同じことはできない。だったら自分を変えようぜ」と切り替えられたんです。
ただ、これは自分1人じゃできなかった。執行猶予が終わるまで引きこもって辛抱しようと思ったけど、無理だよね。“根性論”と“男たるもの”では。俺は2年で白旗を揚げた。何度も「もう死んだ方がいいな」って思った。生きたかったけど、そこからどうやって生き直していいか分からなかった。
■「男だから、女だから」でなく「一人の人として」相手と向き合う
宇田川:そんな中、依存症の問題を抱える人たちの自助グループにつながった。
高知:ストレスが溜まっても、薬物に頼らない新たな自分で生きていきたかった。自助グループで、回復の道を歩んでいる先輩たちがメンター役になってくれたおかげで、自分の過ちや、自分を苦しめてきた考え方と向き合えた。話しながら喧嘩もしたし、理解できないこともあった。旧型の自分、「男たるものは」という考えと、新しい自分とが混ざり合ってる時こそが、すごくしんどかったけれども、あれがなければ、今の自分はないね。
僕の場合、薬物がこれから止められるかどうかより、どちらかというと、自分の「生きづらさ」や勝手な妄想、そういう認知のゆがみが大きかったんだなと気付きました。
宇田川:その大きな要因が「男らしさ」についての考え方だったんでしょうか。
高知:ジェンダーをテーマにした番組に呼ばれて、「へ?」と思われるかもしれないけど、「男らしさって何?」って本当に思うね。よく考えたら、これまで自分の都合のいいようにその言葉を使っていた。何かしたくないときに、「こんなこと男にできるかよ」と言い訳をするとかね。何かをしたい時は、別に「男だから」って言う必要ないもんね。
僕の場合、目の前で何か起きている場合、「人としてどう考える?」という言葉を使うようになってから、すごく冷静に物事を考えるようになったんです。
宇田川:「男」でも「女」でもなく、1人の人間として向き合うということ?
高知:目の前に荷物を重そうに持っている人がいるとします。「男だから持ってあげよう」「女だから持たなくていいんだ」とか、やっぱりその基準が分からない。であれば、僕の場合、もう「男だから、女だから」と言葉さえ使うのをやめようと。1人の人として考えたら、すごく目の前の人をリスペクトできるし、いま生きやすいんです。
「人として」と考えてとった行動で、相手に心からありがとう、と言われると本当に心地いいんだと気付きました。それまでは、「男だからやらない」「女だからお前やるべきだ」というのが当たり前だった。まるで演歌の世界だよね。
当時の家族もそうだし、歪んだ認知だった僕に関わってくれた人たちを、どれほど傷つけ、迷惑かけたかと思うと、僕が生き直すということは、残りの人生の償いなんですよね。きれい事じゃなく、本当の自分に向き合って、ありのままで生きようということ自体が償いなのかなって思うわけですよ。
宇田川:11月19日は国際男性デーとされています。同じように「男らしさ」について、生きづらさを感じている人もいると思います。もしヒントを伝えるとしたら、どんな言葉を届けたいですか?
高知:信頼できる人に、勇気を持って全てをさらけ出して話してみる。そうしたら意外と、相手も「私もあるよ」となるかもしれない。そうすると、どれほど楽か。「人にこう見られたい」じゃなく、どう見られてもいいじゃない。実際、他人って本当に気にしてないし、そういうものを作り上げる恐怖っていうのは、全部自分なんだよね。
だからこそ、もし苦しんだり、自分に閉じこもったりという人は、信頼できる人にどんどん話してほしい。弱みを見せることは“恥”でもない。逆にそれは“価値”であって。その方がかっこいいし、強いよって僕は言ってあげたいですね。
宇田川:今のお話、本当にかっこいいです。お話を伺えて、本当に嬉しかったです。
高知:今は、「男」というのを外して、「人として面白いですね」と言われるのが一番嬉しいかもしれないですね。俺、あと5時間しゃべりますけど、どうします?
日テレ報道局ジェンダー班のメンバーが、ジェンダーに関するニュースを起点に記者やゲストとあれこれ話すPodcastプログラム。MCは、報道一筋35年以上、子育てや健康を専門とする庭野めぐみ解説委員と、カルチャーニュースやnews zeroを担当し、ゲイを公表して働く白川大介プロデューサー。
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