憲法の“両性”は同性カップル含む?ゲイ公表の弁護士が「画期的」と評す東京高裁「違憲判決」【同性婚】
■「一生隠していかなきゃいけないと思っていた」自分の力で自分たちを守るため弁護士に
南さんはこれまで性的マイノリティーの権利に関する裁判をいくつも担当されてきたんですよね?
南和行弁護士:
一橋大学の法科大学院の学生さんが同性愛を暴露されて、その結果、命を落とすことになったという事件の裁判をしたこともあります。僕自身が同性愛者で、パートナー(吉田昌史さん)も弁護士で、大阪でカップルで事務所をしているので、LGBTの案件は多いです。
(同性婚を可能とする法律がなくても)同性愛者の人でパートナーがいて、事実上、結婚生活を送っているという人はいます。僕もそうです。彼と学生時代に知り合い、大学院を出て会社員になったのですが、彼と2人で弁護士になりたいと思って、「2人で司法試験を受けて弁護士になろうよ」と言って弁護士の勉強を始めました。
南:その時は将来自分が「同性カップルです」とカミングアウトして生活するとは全然思っていなかった。むしろ一生隠していかないといけないと思っていました。感覚的に、“同性愛者であることなんて人に言ってはいけない”とか、“「一緒に住んでいる人は男同士で、友達でも兄弟でもなく伴侶なんです」と言ったら何を言われるか分からない”と思っていました。
だからこそ2人で自営業で、なおかつ専門職の弁護士になったら、自分たちのことを法律が守ってくれなくても、自分の力で自分を守れるかな?みたいな考えで、弁護士になったんです。その後、自分たちが一緒に暮らしている中で、(2人の関係性を)知っている人と知らない人で、対応が違うのも変な感じなんですよ。
庭野:この人には言っていい、この人には言っちゃだめ、といったことですよね。
南:そうなんです。共通の知り合いでお世話になった弁護士さんに年賀状を出すんですけど、「この人たちは知っているから連名で」「この先生には言っていないから実家の住所で」ということになってくると、何か変というか。
庭野:自分をごまかしている感じになりますよね。
南:それで彼が2011年に「結婚式挙げよう」と言って、家族や昔からの地元の友だちなんかも呼んで人前式で挙げたんです。そこから日常生活で隠さない暮らしになり、2年後の2013年に僕と彼は2人で弁護士事務所を立ち上げ、そこから私生活も仕事も24時間365日晴れて一緒にいられるようになりました。
隠さなくなった時に思ったのは、僕たちみたいに弁護士に2人ともなれて、周りの人や家族との人間関係もうまくいっているという様々な偶然が重なったら、社会で安定して立場を築けるけれども、なかなかおいそれと「私たちは家族です」と言える感じではないんだなと。
庭野:みんながこれをできているわけではない、と。
南:僕は今回の全国各地である同性婚の裁判の弁護団には参加していませんし、原告でもないですが、原告の方と弁護団の方が、単に気持ちとして「幸せになりたい」とか、軽い話じゃなくて、権利が保障されていない、国から守られていないということがすごく切実なことなんだということ。 そこを今回の東京高裁もですし、3月の札幌高裁なんかも、裁判所にきっちり原告の方と弁護団の方が伝えたのかなと思います。
■同性カップルだけ婚姻制度を利用できないのは「差別」と言わざるを得ない
庭野:東京高裁は、「“性的指向”という本人の意思で選択や変更ができない属性により、重要な法的利益を受けることに区別が生じている状態を維持することに、合理的根拠はない」ということで、同性婚を認めないといった現在の民法の規定などについて憲法違反と判断。その一方で、国への損害賠償についての訴えは退けました。南さんは、率直にどう思いますか?
南: 東京高裁の判決は、「法律で婚姻制度を作っている趣旨は何だろう?」というところに立ち返っています。元々、「この人と一緒に過ごしたい」とか、「家族になろう」と言って暮らしていくのは、法律があろうがなかろうが、自然な人の営みだと思います。それが、現代の社会では法制度になって、婚姻届を出すと国によって一定の保護がされるわけです。
庭野:税金の控除があるとか、いろいろな制度が利用できますよね。
南:経済的にも社会的にも守られるし、副次的な効果として、生活の中で「婚姻した夫婦、家族である」として尊重されるという社会的な意味で結婚する人が多いです。やっぱり人と人、私と伴侶の関係が法律で守られるというところに婚姻制度の主眼があるというのが社会の実情だと思います。
今回の東京高等裁判所の理屈がしっかりしている点は、婚姻制度は現代においてどういう位置付けであるかということを明確にした上で、同性カップルだけ婚姻制度を利用できないのは「差別」と言わざるを得ないという判断をしているということ。本当に画期的だし、論理的な明快さもあると思います。
■“両性の合意”憲法に記載の言葉で揺らぐ同性婚の実現 東京高裁でも議論に
庭野:東京高裁の判決をめぐっての議論でなにか気になることはありますか?
南:憲法24条1項というところで、婚姻制度のことを書いているのですが、“両性の合意のみによって”という言葉を使っているということが議論になることがこれまでありました。
◇憲法24条1項 ◇
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
南:ここでいう両性というのは、男性と女性という言葉を合わせて言っています。憲法24条1項が婚姻について“両性の”という言葉を使っているから、「異性婚しか憲法が認めておらず、同性婚を認めるということは憲法違反の法律を作るのと同じだ」というようなことを言い出す人までいました。
戦後、憲法を作るなかで、なぜ24条に婚姻のことを入れたかというと、それまで日本の婚姻制度はいわゆる家長のような人の了解がないと婚姻できないことがあり、男女の不平等を当たり前とする婚姻制度でした。
庭野:“嫁に入った”とか、“婿に入った”とか。
南:まさにそういう発想だったので、そうではなく、婚姻というのはあくまでも個人同士の結び付きでできるものだということから、男女の平等、また婚姻した当事者間の平等と、2人の意思を尊重しようという意味で“両性の”という言葉を使ったのです。決して男性同士、女性同士が婚姻することを排除するような意味で“両性”と言っているわけじゃないということを、(東京高裁の判決は)改めて明確にしました。
また、その前に出た3月の札幌高裁の判決だと、むしろ「憲法24条1項にいう“婚姻”には、今や同性婚も含まれる」と言うぐらい、「憲法24条1項があるから同性婚はできないんだ」という議論については、改めてしっかり「違う」と言いました。
■「いつか同性婚が実現しなあかん」自分以外の人にどれだけ優しくなれるか
庭野:政府の見解を見てみますと、現行憲法のもとでは同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されていないという立場なんですね。自民党内にも、「日本の伝統的な家族のあり方が変わってしまう」という根強い慎重論があり、なかなか国会で審議が進まないでこのままずっと来ているということなんですが…。
南:ぶっちゃけ、(当事者以外には)関係ない話でもあるわけですよね。選択的夫婦別姓だったら、「妻から“やっぱり名字を元に戻したい”と言われたらどうしよう…」みたいな感じで、(異性愛者であっても)自分自身の結婚とダイレクトに関わってくる可能性があるけれど、同性婚は、しない人はしないし、する人はするから、関係ない人の話なわけですよね。だから、自分以外の人の家族のあり方について、それを受け入れて、「自分が自分の家族を大事に思うように、あの人の家族も大事にしたいな」というような、自分以外の人のことでどれだけ優しい気持ちになれるかという話なので、家族観が変わるというのはすごく詭弁(きべん)と言いますかね。
庭野:さらに議論を深めていくにはどういうことが必要だと思われますか?
南:難しいですね。知らないことについて「教えて」と言える気持ちであるとか、自分が知らないだけに人を傷つけたり、間違ったりしたときに「ごめん」と言える気持ちを持って議論しようというところかなと思います。
庭野:攻撃して相手を貶めることで自分の議論を有利にするみたいなことがありますよね。
南:そういうことをすると結局誰も幸せにならないと思うので。僕はいつか同性婚が実現しなあかんっていうのは、正直“確定的な結論”ぐらいに思っているんですよ。
庭野:大昔は家父長制で家に“嫁に入る”とか、“婿に入る”は、そうじゃない。「平等の2人が結婚しましょう」というふうには(法律は)できたと思うんです。
じゃあその“平等の2人”というのが誰かといったときに、異性愛者の人もいれば同性愛者の方もいるし、あるいはそもそも結婚しないという人もいるわけです。やっぱり誰もが、不都合があったり認められていなかったりと悩み続けるとか、隠し続けるということはないようにできるといいなと思います。
日テレ報道局ジェンダー班のメンバーが、ジェンダーに関するニュースを起点に記者やゲストとあれこれ話すPodcastプログラム。MCは、報道一筋35年以上、子育てや健康を専門とする庭野めぐみ解説委員と、カルチャーニュースやnews zeroを担当し、ゲイを公表して働く白川大介プロデューサー。
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