一日も早い帰国の実現を…北朝鮮による拉致問題の早期解決を目指す集会 曽我ひとみさんが講演
北朝鮮による拉致被害について、秋田からも現状の打開を訴えようと、秋田市で集会が開かれました。
北朝鮮に拉致され、22年前に帰国した曽我ひとみさんが講演し、拉致被害者の家族の高齢化が進む中、一日も早い帰国の実現を訴えました。
先週土曜日、拉致問題の早期解決に向けて活動する団体「救う会秋田」が企画した集会。
北朝鮮による拉致被害について、多くの県民に関心をもってもらおうと開かれました。
政府が認定している拉致被害者の数は、2002年に帰国した5人を含めて17人。
拉致の可能性を排除できない「特定失踪者」は、全国で少なくとも871人います。
このうち、県の関係者でも5人の消息が今もわかっていません。
この日は、拉致被害者やその帰りを待ち続ける家族の苦悩や葛藤を描いた映画「めぐみへの誓い」が上映されました。
47年前、中学1年生の時に新潟県で拉致された横田めぐみさんが主人公です。
上映会のあと、拉致被害者の一人、曽我ひとみさんが講演しました。
曽我さんは、1978年、19歳の時に、母のミヨシさんとともに新潟県で北朝鮮に拉致されました。
曽我ひとみさん
「家まであと100メートル足らずというところまで来た時でした。男性3人が足早に駆け寄り、私と母に襲い掛かってきました。抵抗することもできずに口をふさがれ、手足を縛られ、南京袋のようなものをかぶされて、担がれて川まで連れていかれました」
曽我さんは、2002年に帰国しましたが、ミヨシさんは行方が分からないままです。
曽我さんは、拉致された直後から約8か月にわたって一緒に生活したという横田めぐみさんとの思い出を振り返りました。
曽我ひとみさん
「めぐみさんと2人きりの時や、夜、寝静まった時など、本当に本当に小さな声で、誰にも気づかれないよう、注意しながら日本語で話をしました。家族のこと、友達のこと、学校のことなどを話しました。また、外に出る機会がある時は、ちょっと離れた場所に行って、日本語の歌などをこっそりと歌ったりもしました。指導員に見つかれば大目玉を食らうことは分かっていましたが、やっぱり二人とも、日本が恋しかったのです」
拉致被害者を何が何でも助け出し、日本で抱きしめたい。
曽我さんは、一刻も早い母・ミヨシさんの帰国を待ち望んでいます。
曽我ひとみさん
「家族の思いっていうのは、(拉致)被害者であったり、認定されていない人であっても、もちろん家族の思いっていうのは私は同じだと思っているので、諦めずに、体に気を付けて、帰って来るのを一緒に待ちましょうと」
解決の糸口が見えないまま時間だけが過ぎ去っていく、北朝鮮による拉致問題。
帰国を待つ家族の高齢化も進む中、曽我さんは今後も、被害者と家族が一日でも早く日本で再会できるよう、訴え続けていきます。