【昭和100年 映像館】名古屋城“わずか14年あまりの一般公開” 昭和6年
1610年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、豊臣方への備えとして築城を開始したのが名古屋城です。1612年には天守閣が完成。その後、本丸御殿や二の丸庭園などが完成。名古屋城は江戸時代、尾張徳川家の居城として栄えました。1930年(昭和5年)には、城郭として国宝第1号となりました。
翌年の1931年(昭和6年)2月11日には、一般公開され、観光地として、また、地元の人たちには、憩いの場として利用されていました。
その名古屋城も1945年(昭和20年)、太平洋戦争末期の5月14日の朝、名古屋市街地を襲ったB29(472機)の空襲で、天守閣や本丸御殿は焼失。一般公開は、わずか14年あまりでした。
現在そびえている天守閣は、1959年(昭和34年)に市民の寄付により再建された鉄骨鉄筋コンクリート製の天守閣です。内部には、歴史資料や模型などが展示されていましたが、耐震化不足から閉館(2018年)されました。木造での再建が叫ばれる中、いつ再建されるかは、見通せない状況です。
一方、同じ日に焼失した本丸御殿は、2008年から再建に着手。2013年には、玄関・表書院が公開。2018年(6月18日)には、完成し、公開が始まりました。
■映像説明
1931年(昭和6年)2月11日に一般公開された名古屋城。建国記念日に因んで公開されたといいます。この映像には、梅らしき花が映っていて、公開直後の映像ではないかとみられています。建物の内部は、撮影されていませんが、当時のフィルムでは、照明がないと撮影できなかったとみられています。天守閣からの眺望は、正門から西側を望む映像と東北側が映っている映像です。土産物の店は、正門近くの店と西のお堀にあった店とみられています。西のお堀の土産物店では、望遠鏡が据え付けられています。この望遠鏡は、大正時代には、すでに設置されていたといいます。公開前から名古屋城は、人々を魅了していたようです。最後に映っているのは、北側から見た天守閣と戦災をまぬがれた西北隅櫓です。馬を休ませる人の姿が、昭和の雰囲気を漂わせています。
■カメラマン
名古屋出身の映像作家:横井湖南氏(1910年~1957年=明治43年~昭和32年)。昭和の初め、映像制作会社や映画協会設立に関わる。映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在。