母「娘は…覚えてない」消滅地区に灯る“神楽”…住民を繋いで13年 福島・南相馬市
東日本大震災の津波で、大きな被害を受けた南相馬市小高区。その中には、住宅を建てることができない「災害危険区域」に指定された所もあります。その一つが、村上行政区。地区はなくなっても、培った文化は絶やしたくないと住民たちが先日、代々受け継がれてきた神楽を披露しました。その復活までの道のりを取材しました。
東日本大震災の津波に襲われた浜通り。その沿岸部で特に被害が大きかった地域は、震災後、「災害危険区域」に指定され住宅が建てられなくなりました。
南相馬市小高区にある村上行政区もそのうちの一つです。
津波で62人が犠牲となり、「災害危険区域」に指定されました。
さらに地区は、福島第一原発の事故で避難区域に。避難指示が解除された後も住民たちは、ふるさとに戻れずバラバラに暮らすこととなりました。
かつて営みがあった地区は人が住む事のない「消滅地区」となっています。
地区はなくなっても…その文化だけは絶やしたくない。
そう思い、先月、住民たちが久しぶりに顔をあわせました。
ふるさとに伝わる「神楽踊り」を13年ぶりに復活させようというのです。
毎年、正月に家内安全を願って神社に奉納していた「村上の神楽踊り」。
親から子へと口伝えで受け継がれてきたもので、村上地区の誇りでした。
獅子頭など道具などはすべて津波で流されてしまいましたが、写真などを元に5年ほどかけて復元。
奉納に向けて準備を進めてきました。ただ、先月の練習では…
■住民たち
「こんなにこわかった(疲れる)けか?「うんこわいんだ、こえー」「だってみんな年取ったもん」
道具はそろっても、体は昔のようにはいかず…久々の踊りに、みなさん、苦労していました。ただ、そこまでしても、神楽を踊りたいのです。
■神楽保存会 村田渉さん
「おふくろが、、、甘かった、連れてすぐ避難すれば良かったけど、津波だって声聞こえて、おふくろ背負って行ったんだけど間に合わなかった波で離れ離れで・・・」
神楽保存会のメンバー村田渉さん(64)。母親を震災の津波で亡くしました。練習に励んでいるみなさんも、多くが震災の津波で家族を亡くしています。
失ったものが大きいからこそ、神楽は住民たちをつなぐ、大切なものなのです。
■村田さん
「繋がりたもつ、みたいな感じかな、この神楽を通して、まだ寄り添ってんだよって…」
その神楽を披露する日がやってきました。
■住民たち
「久しぶり~久しぶりです」
■司会者挨拶
「大震災がなければ、田植えも終って、青々として村上の風景が広がっていることと思う」
この日は、県内外にバラバラに暮らしている住民たちの集まりです。
地区は「閉区」に向けての話し合いが続いていますが、この瞬間だけは、ふるさとを感じることができます。
■司会者
「13年ぶりの村上の神楽奉納です」
■神楽踊り 披露
13年ぶりに、懐かしいふるさとの記憶がよみがえりました。
■住民たち
「13年ぶりだと何ともいえない、音を聞けばやりたくなる」
■住民 母と娘
母「お正月に毎年、子どもを連れて行って、神社で子どもが頭をがぶがぶされて、懐かしい、娘は・・・覚えてないから、神楽みたいって今日来て」
娘「ちょっとしか覚えてなくて、やるんだったら見にいきたいなと思って。当時4歳でした。残せるなら残した方がいいなって思うけど、難しい問題だから」
人から人へ受け継がれてきた「村上の神楽踊り」。
保存会のメンバーは震災前に踊っていた地区の神社で、神楽を奉納しました。神社はあの日から手付かずのままです。
■神楽保存会 村田渉さん
「行政区があっての神楽保存会でしょ、残してくれっていっても事情がね…。部落を再興させるってそんなに大げさなことじゃない、無理がある、ただ、文化を通して、繋がりを維持していけたらと、そういう想いが少しでもあると思う」