脳裏に浮かぶ置き去りにされたペットたち 原発で働いていた男性の「罪滅ぼし」
2011年3月、世界最悪レベルの原発事故が福島県の東京電力福島第一原子力発電所で起きた。原発周辺に住んでいた人たちは突然に避難を余儀なくされたなか、多くのペットが町に置き去りにされた。「人間がつくった原発のせいで…」福島県浪江町の赤間徹さん(62)は、あの時、故郷でペットがさまよい続ける悲惨さが今も目に浮かぶ。せめてもの罪滅ぼし。そんな感情がいまも赤間さんを突き動かしている。あれから14年、「幸せになってほしい」と原発事故の被災地に取り残された犬や猫1千匹あまりを保護し、新たな里親に譲り渡してきた。赤間さんは全国の災害に思いをはせながら「ペットも家族、一緒に避難してほしい」と教訓を語る。
“動物天国”と揶揄された故郷の悲しい現実
「この辺は犬が群れで結構いたんですよ」
今は大部分の地域で避難指示が解除された浪江町。JR浪江駅前では2027年3月の完成を目標に大規模な再開発計画が進んでいる。駅前を歩きながら、赤間さんは14年前の様子を語った。
「突然、人がいなくなったでしょ。犬や猫、それにブタやイノシシなんかが普通に道路を歩いていた。ここは一時、動物の町だった」。
建設工事の音が周囲に響き渡る今は、想像もつかないが、かつてここは取り残されたペットや野生動物が町にあふれていた。赤間さんの故郷は、いつしか“動物天国”と揶揄されるようになっていた。
「ペットは乗せられない、放してくれ…」今も忘れられない悲惨な光景
浪江町で建設業を営んでいた赤間さん。18歳ごろからは福島第一原発と第二原発でも仕事をするようになった。東日本大震災が起きた2011年3月11日も、赤間さんは福島第二原発で溶接の作業をしていた。
「原発は本当に安全につくられているという感じでいたので、みんなが避難するようになるとは思わなかった。自分は避難しないでしばらく自宅にいた」
ただ翌日、事態は一変する。福島第一原発の1号機が水素爆発したのだ。多くの町民は原発から離れた地区の避難所に身を寄せ、そこからさらに遠くへとバスで避難することになった。その時に“あること”を告げられたという。
「バスにペットは乗せられない、放してくれ…」
避難は人が優先、ペットは置いていけというのだ。家族同然で一緒に過ごしてきた犬や猫を飼い主が泣きながら捨てる、そんな場面にも遭遇したという。そのなかでも赤間さんが忘れられない光景がある。
「道路いっぱいに多くの犬が、町の方に戻ってきたんです」。
海辺の原発から離れようと人が町から去っていくなか、自宅に残っていた赤間さんが目にしたのは、犬の集団。
大型犬に小型犬、様々な犬種が集まり、一緒になって町を歩いていたというのだ。
「ペットたちをこういう風にしたのは、自分たち(人間)がつくった原発のせい…」。
赤間さんはその異様さに罪悪感を抱き、原発で働く者として、強く責任を感じた。