【高潮災害から25年】変わりゆく被災地 高齢化や防災意識に課題も
今から25年前の1999年9月24日。宇城市不知火町の松合地区では台風に伴う大規模な高潮が発生し、12人が犠牲となりました。
災害から25年となった2024年9月24日、地元では慰霊祭が行われました。町はいま、どのように変わったのでしょうか。
24日朝、宇城市不知火町の松合地区で行われた慰霊祭。
地元の住民など約25人が参列し、災害で犠牲になった人を悼みました。
1999年9月24日。松合地区では、台風18号の通過とともに3.5メートルを超える高潮が発生しました。集落は水に飲み込まれ12人が命を落としました。
あれから25年。
■内藤有希子記者
「水門がなかった当時、あちらから高潮が侵入しました。高潮の高さは最大で私の身長を超えるこの高さまで来たということです」
■田上登さん(松合地区在住)
「堤防がきれたと思ったんですよ。そしたら堤防はきれんで潮が盛り上げてきてですね。堤防ば超えてきたんですよ。ひどかったですよ。一瞬にしてですね。天井まで」
災害のあと、松合地区では高潮の対策が進みました。新たに堤防や水門がつくられたほか、地区一帯で平均2.5メートルのかさ上げ工事が行われました。
復旧工事が進み、景色を変えた街並み。
■西田美代子さん(松合地区在住)
「家ももっとたくさんこの辺もいっぱいびっしりあったんですけど、もう解体されてしまってですね。前の(町並み)が分からなくなりましたね」
変わったのは、街並みだけではありません。25年前、松合地区では1200人あまりが暮らしていましたが8月末の時点では625人と半分ほどに減っています。
(※宇城市調べ…1999年3月31日時点:1224人→2024年8月31日時点:625人)
当時を知る人も減る中、地域の人の中には心配なことも…。
■松合西区 中内朋大自治会長
「幸い25年の間に被害を伴うような台風が来ていなくて、それと災害の工事も終わって高齢化と猛暑で、早期避難に対する考えが当初より薄れてきたかなと。避難が難しくなっているなと思います。尊い命がなくなっていますので、その方たちの思いが無にならないように、まず災害のときは早めに安全な場所に身をうつすということで、早期避難を若い世代にも伝えていけたらと思います」
災害の記憶をいかに引き継ぐかが今後の課題となっています。