【訴え】北朝鮮拉致被害者・曽我ひとみさんが富山市で初講演「被害者、被害者家族の両方が元気であるうちに解決を」
曽我ひとみさん「家まであと100メートル足らずというところまで来た時でした。男性三人が足早に駆け寄り私と母に襲いかかってきました。口をふさがれ、手足を縛られ、軟禁袋のようなものをかぶされて、かつがれて川まで連れて行かれた」
曽我ひとみさんは、19歳だった1978年の夏の夜、新潟県佐渡市で母のミヨシさんとともに北朝鮮に拉致されました。
小さな舟に乗せられ、別の大きな船に乗り換えて、翌日夕方に到着したのは、さびれた港。
「ここはどこですか?と話しかけました」「するとここは北朝鮮という国だと」
北朝鮮では横田めぐみさんと
曽我さんは、母と引き離され、連れて行かれた施設で出会ったのが横田めぐみさんでした。
「彼女は笑顔で私を迎えてくれました。めぐみさんと二人きりの時や、夜静まった時など本当に本当に小さな声で誰にも気づかれないよう注意しながら日本語で話をしました。日本の歌などをこっそり歌ったり。二人とも日本が恋しかったのです」
北朝鮮の冬は、肌を刺すような痛みを感じるほど寒く、頻繁にある停電で凍える日々。
配給のコメには石や虫が交じり、何もかもが不足していたといいます。
曽我さん「拉致されてからずっと私は北朝鮮という国に騙され続けてきたこと、日本という国は私一人など助けてはくれないんだろうという失望の中で24年間生きてきた」
曽我さんは2002年、24年ぶりに日本への帰国を果たしました。
母ミヨシさんは現在92歳になります。
曽我さん「とにかく時間との戦いであるとも言えるわけです。被害者、被害者家族の両方が元気であるうちに解決してほしいと願うことしかできないのが何とももどかしい。この瞬間にも、日本に帰ることを信じている人がいること、空や海に向かって日本を思い、涙している人がいることをわかってあげてください」
県内にも拉致可能性排除できない人たち 残された家族「信じて待つ」
富山県警が捜査している拉致の可能性が排除できない人は、20人います。
そのうちのひとり、屋木しのぶさんは1968年、19歳の時に入善町で行方不明になりました。
講演後、弟の秀夫さんは、姉を知らないか曽我さんに尋ねましたが。
曽我さん「なかなか自由がなくていろんなところに行くという機会もほぼほぼなくて」「ほかの方たちを見かけたりとかそういったことが難しい状況にありまして大変申し訳ないですけど」
屋木さんは、政府に対して、全ての拉致被害者の救出に全力で取り組んでほしいと訴えます。
屋木さん「個人の力ではとても救出できないが(姉には)救出されることを信じて待ってほしいというしかない」
曽我さん「今後ともいろんな方法で知恵を出し合いながら、あきらめずに最後まで一緒に活動をしていきたいと思いますが、この活動を一日も早く終わらせたいなという気持ちでいっぱいです」