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【解説】今年で100年 近代史の生きた遺産「犀川大橋」の歴史に迫る

2024年7月2日 19:34
【解説】今年で100年 近代史の生きた遺産「犀川大橋」の歴史に迫る

市川 栞キャスター
「北國新聞論説委員の野口強さんとお伝えします。よろしくお願いします。きょうはどんな話題でしょうか。」

北国新聞論説委員・野口 強さん
「金沢市の犀川大橋が、今年完成から100年を迎えます。」

市川
「2年前には一足早く、浅野川大橋が100年の節目となりましたね。」

野口さん
「犀川大橋もまた、人やモノの往来を支えてきた金沢の近代史の生きた遺産です。この節目に、二つの大橋を通じて流域がつながり、活性化していこうという機運も高まってきました。今日のテーマは、こちら。」

『犀川大橋100年金沢の近代史刻む』
「犀川大橋は、加賀藩祖・前田利家公が架けた木造の橋が最初で、何度も川の氾濫で流され、大正になってコンクリートにしましたが、これも集中豪雨で橋脚に流木が当たるなどして崩壊しました。」

「それではと、1924年に鋼鉄を「W」の形に組んで強じん化する工法を取り入れました。」

市川
「橋脚をなくし、水流のダメージを受けない構造にして、現在に至っています。」

野口さん
「基本的な姿・形は変わっていないんですが、変わったのは地肌のお化粧で、鉄骨の塗り替えを5回行っています。最初はねずみ色、次が薄いカーキ色、さらにクリーム色、黄緑色、水色と、ほぼ10数年のサイクルで色が変わって、2008年に、現在の青緑のグラテーションに落ち着いた。その都度、検討委員会などを開き、市民の意見も聞いて決めてきたそうですが、色一つとっても、犀川大橋が景観に与える影響の大きさが分かりますね。」

市川
「あたたかい印象、さわやかな印象など街の印象がかなり変わりますね。」

野口さん
「1つ目の、目からウロコです。」

『あの行列も通った金沢の南の玄関口』
「これは1958年(昭和33年)の百万石行列の風景。北國新聞の夕刊に載った写真です。もともとはモノクロですが、AIなどを使って、カラーで当時の風景を再現しました。この時代は、野町も行列のコースになっていて、片町方面へ進む利家公の行列の後ろには、犀川大橋の重厚な鉄骨が見えます。写真は、行列の後方で、橋の前に路面電車が差し掛かるレアな瞬間をとらえていて、熱気あふれる一帯のにぎわいを映し出しています。」

市川
「中でも大橋は、巨大な門のような存在感を漂わせていますね。」

野口さん
「昔も今も変わらない、まさに「金沢の南の玄関口」の風格がありますね。金沢を代表するもう一つの川、浅野川が「女川」と呼ばれるのに対して、犀川は「男川」と言われますが、川の個性に合わせるように、浅野川に柔らかなコンクリートの橋、犀川には硬質な鉄橋が架かったのも、うなずけますね。」

「その二つの橋が相次いで100年を迎えたことで、金沢河川国道事務所などが「百寿会」という組織を立ち上げ、価値を発信する動きも出てきました。」

市川
「先日は二つの大橋を歩いて巡るツアーも開かれましたね。」

野口さん
「二つの橋をランドマークとして金沢をたどれば、歴史の奥行きが実感できると思います。2つ目の、目からウロコです。」

『地上にも天の川?人を結ぶ七夕の夜』
「7日は、百寿会が中心となって犀川大橋一帯で記念イベントが開かれ、午後6時から午後9時まで、片町交差点から野町広小路交差点が歩行者天国になります。天の川ならぬ犀川で、川の両岸が一つになって、大橋の百歳を祝うということです。道路沿いには、犀川周辺の小学生が協力して作った行燈が、全部で500個ぐらい展示されるそうです。」

市川
「星空のように華やかに、大橋周辺をドレスアップするんじゃないでしょうか。」

野口さん
「あまり知られていませんが、7日は七夕の「天の川」のイメージがあること、7月が河川愛護月間であること、そして季節的に水に親しみやすいことから、国土交通省が「川の日」に定めています。」

市川
「川や橋の大切さを考えるには良い日だと思います。」

野口さん
「能登半島地震では、交通網の寸断などで人と人がつながろうにもつながれないつらさを実感しました。橋が1本あることで、人やモノがつながり、文化も生まれる。百歳を迎える犀川大橋を通して、そんな橋の役割を、あらためて考えてみたいですね。」

市川
「ありがとうございました。野口さんの目からウロコでした。」