「進めたくない…」あの日から止まった時間 能登半島地震で最愛の妻子失った男性
その男性に出会ったのは能登半島地震の発生から10日後、金沢市内の斎場でした。
角田 貴仁さん:
「なんか変な感覚ですよ。全て生活も家も景色も全部変わってしまって、二人もいなくなったので、元旦から悪い夢を見ているような感じですよ。」
市内に住む角田貴仁さん。あの日、珠洲市の実家に帰省中、震度6強の揺れに見舞われました。
妻の裕美さんと一人息子の啓徳くんは家屋の下敷きに。
角田 貴仁さん:
「(実家の)崩れた方の逆側に回り込んで、隙間から名前を読んだら奥からたたく音がしたので、音を立てていたのが9歳の息子でして、もうこんな力あるんかっていうくらい、手首をこうしてた。すごい力強く。助けたかったんですけどね」
願いは届きませんでした。
震災後、多くの遺体が運ばれた斎場。その中に、冷たくなった二人がいました。
納棺師:
「奥様と息子さんで、気になるところないですか?」
角田 貴仁さん:
「そうだなあ。顔が黄色、痕になっているんですね、息子が頑張った逆に証なのでそこを残すかは相談して決めたい。」
あざは、息子が頑張った証のような気がして消すことはできませんでした。
二人を奪った能登半島地震から1年。
角田 貴仁さん:
「僕一度も手を合わせたことがないんですよ、実は。受け入れてないんでしょうね」
角田さんの時間はあの日から止まったまま。
「彼女が僕のために(服を)たたんでくれることはもうないから。そう思うとね、そこに置いてあるものが愛しくて動かせなくてね。"こと"ってなかなか重い。もの以上に重い。"こと"は消えちゃう。消したくない、まだね」
鉄道が大好きだった啓徳くん。遊んだ後のおもちゃも触れられずにいました。
「あ!去年(2023年)のだ」
地震の前家族三人で訪れた京都の鉄道博物館。
(Q.しおりですか?)
「妻が作ったしおりだね。こんなことしてたんですよ、妻は」
二人を亡くしたあと角田さんはひとりで思い出の京都を訪れました。
「できる限り同じことをしたいと思ったんですよ、当時と。そこと同じ場所でずっと写真を撮ってきた。僕のスマホのカメラの先には、レンズの先には二人がいたんですよ。」
それは、家族三人の思い出の場所。亡くなった二人と一緒にいられるような気がしました。
「(最後京都駅に着いた時に)いないんだけど、一緒にね、いたかのような感じで。本当にね。でも、いないのにね、さっきまであたかも一緒にいたような感じに思えてね。当然ですよね。おんなじとこ回ってるんですよ。でもいないんですよ。どんなに右を見ても左見てもいないし」
地震の爪痕が今も残る珠洲市大谷町。実家も、崩れたまま…
「たらればをどうしても、どうしても考えるんですよ。あの時ああしていれば、あの時こうしていれば、もう遅いんですけど、どうしても思ってしまう。まだ時間が止まっているということでしょうね。進めたくない。進めなきゃいけないんですけど」
あの日、違う選択をしていたら未来は変わっていたのかもしれない。
もう二度と戻らない家族三人で過ごした幸せな日々。
「本当に前へ向いている人もいればやっと前を向いている人もいる。前向いている振りをしている人もいれば、まだ前へ向けない人もいる。いろんな人がいるわけです。前へ向けるタイミング、前向こうかなという思いを持ったタイミングで歩んでいけばいいかなと。人それぞれですから」
能登半島地震から1年。
角田さんは二人への変わらぬ思いを胸に今を生き続けています。